風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

わたしたちのいま

紫陽花が色づき始めているのを見るのが楽しい。ほんとに少しずつ、でも確実に変わっていくのだ。

時を同じくしてサボテンの花が咲いた。祖母のお友だちがわざわざ見せるために持ってきてくれたのだ。サボテンの花は1日しか咲かないから、せっかくだから見てね、と。

ピンクが優しい花だった。

 

がんばって2日咲いて、3日目には見事に萎れていた。と、思ったら別の子をまた持ってきてくれた。「この子も咲いたよ!」と。

生き物は淡々と変化する。土の中でじわじわ根を伸ばして、ぐんぐん茎を伸ばして、ぱぁっと咲いたと思ったら、萎れて枯れて、痩せ細って、、そしてまたぴょこっと芽を出す。その繰り返し。

先日の昆虫の速さにも驚きだけど、植物のスピードもにんげんとは全然違う。

 

momonootayori.hatenablog.com

植物は10年、100年単位で生きているものもある。どんな感覚なんだろうな。

いきもののいのちの長さはなんでこんなに違うのだろう。

 

 わたしたちのことは、植物から見たらどんな風に見えるのだろう?

生も死も、にんげんのように抵抗することもなく、こだわることもなく、受け入れているのかな。当たり前すぎて受け入れる、ということすら感覚がないのかな。

 

booklog.jp

稲垣栄洋博士の二冊目を読み始めた。とっても読みやすく、シンプルな言葉で綴られた生き物のの生と死。今、読むべきタイミングのような気がしている。

 

すべての生き物は「今」を生きている。大切なのは「今」である。

今、命があるのだから、その命を生きればいい。

ただ、それだけのことである。

(稲垣栄洋著「生き物の死にざま はかない命の物語」27人間より)

 

 

じぶんがただの生き物だということ、忘れちゃだめだな

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