風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

しらない

コロナで見えてきたもの。

わたしたちは何も知らないのだ、ということ。

 

それぞれの専門の方々が英知を絞り対応策を検討している。

それでも先行きが見えない中で、不安な日々をどれだけのひとがおくっていることだろうか。

 

「こうすればしあわせになれる」

「この道で行けば成功する」

そんな”当たり前”などないのだと、現状が教えてくれているのかもしれない。

 

おとなだからといって、すべてを理解しているわけではない。

おとなになると、気づかない間に”責任”を身に纏って過ごすけれど、年を重ねたら知恵が増えるとは言い切れず。

 

「この先の未来は、○○になるにきまってる。」

そうやって言えなくて当たり前なのだ。

 

にんげんは全然しらない

知らないことの方が多い

失敗をたくさんする

過ちを犯す

そして知らないことは不安を膨らませる

 

 

こどもたちに、「当たり前」を強く迫らずとも、

おとなの迷う姿をみせてもいいのだ。

不安のままで進もうとしている姿も、

泣き叫びながら信念を貫こうとする姿も、

そのままがにんげんの在り様。

こどもたちが新しい道を創ることも、

おとなたちが泥だらけの道を掘り進めることも

止めなくたっていい。

 

にんげんであるかぎり、弱さを持ち続けていくであろう、わたしたち。

それでも、迷っても、不安でも生きていい。

そこからきっとなにかが生まれるから

 

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