風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

慣れる能力

にんげんは慣れる生き物だ。

 

3年前、東京マラソンに出た。

友人が「ずっと8年ぐらい応募してるんだけど当たったことないんだ。とりあえず応募だけしちゃおう!」と誘われたので、複数の友人で応募をした。

そして当選したのが、わたしと誘った友人Aさんだった。

当時5キロ走れたらいいほうだったわたしも、当選したなら完走したい。

参加費も払っちゃったし、東京に行くまでにも交通費もかけていくのだ。途中で根をあげたらいろいろもったいないではないか。

 

そう思って練習を始めたのは3ヶ月前だっただろうか。

ちょっと早歩きでひーひー

ちょっと走ればぜーぜー

 

なるほど、これはキツイ。このままでは人込みを見ただけでリタイヤしてしまいそう。

ラソンの練習着一式を買い、使い古すぐらい使おうと決め、毎日の練習がスタート。

 

ラソンってどうして横っ腹が痛くなるのだろう。

 

毎朝5キロのジョギングをするのが日課になった。

一日目は足がパンパンに。

二日目は起きるのがしんどかった。

三日目もぐずぐず言ってた。

4日目は朝日を見るためだけにとにかく起きようと、自分を鼓舞した。

そうやって一日一日を過ごしている間に、走ることに慣れていった。

走るということが自分の中で自然になっていった。

 

にんげんってすごい能力を持っている。

慣れることができるのだ。

 

 

想えば、いまのわたしは過去の慣れるまでの経験が積もってできている。

箸を使うことができているのも、

お風呂で髪の毛を洗えるのも、

自分の名前をすらすら書けるのも、

家から職場までの道を間違えずに行けるようになったのも、

 

ぜんぶぜんぶ繰り返し繰り返しを続けて、”あたりまえ”を増やしていったから。

続けていくことで自然とそれを受け入れていく。

 

 

今のじぶんに足りないものがあると落ち込むことがあるときは、今もっているものを見つめてみる。

当たり前のようにしているあれもこれも、ひとつひとつ身に着けたもの。ひとつひとつつけていった力。

今のわたしはできることがたくさんある。

f:id:momonootayori:20210216005437j:image