風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

もやもやもやしな自分

先日、やっとこさ引越しをした。とてもいい気分のスタートも束の間、インターネットが使えず1日、2日と過ぎた。いや、自分のせいなのだけど、インターネットないって不便に感じる。

こどものころ、どうやって過ごしていたかな?

制限があると、なぜかやりたくなるのは人間の習性のひとつなのか。

ブログが書きたいのにー!と欲がかき立てられたので、それもまたおもしろく。

そして朝のドドールにてこれを投稿しています。

 

 

自分が思っていたより、ブログは自分の内側にしっかり存在していたようです。

 

そして書けていない時にも読んでくださる方がいることに感激です。涙がでた。今日も世界はわたしにやさしい。

 

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最近なんだか、もやや〜っとしていて、すっきりしないなと思って過ごしていた。

不安になっている自分に気づいたらやることは、

その拡がった不安を細かく観ること

 

その不安はどこからきたのか

何を見て、何を聴いて、ザワっとしたんだろう

何に引っかかったんだろう

どこに傷ついた?

 

ひとつひとつ手に取って眺めてみる。

答えを出さずに、ゲームの中のキャラクターが障害物に引っかかってるぞ、という感じで。

…なかなか感情が揺さぶられるけれど。

 

•ひととひとが攻撃しあうこと

•納得感がないまま、決断を迫られている感覚

•みんなそうだから、と耳にした時の違和感

•それを選んで本当にいいの?という迷い

 

ぽこぽこと吹き出てきた。

そうか。こんなことに引っかかっていたんだ。

わたしはわたしを置いてきぼりのままで、歩きたくなかったんだなぁ。

未来のことが分からない中で、ひとつを選ぶのは簡単なことではない。

正しいを選ぶと、不正解に怯えてしまう。

わたしの答えがしっくりまとまるまでは、うろうろ迷うこのままでいよう。

 

そして、自分と違う答えを持っているひとがいることも、そのままにしておく。

怯えたり、怒ったりもせず、そっかそっか、と。

きっとこのブログを読んでいるひととも、〇〇のことは意見が近いなー、▲▲のことは違う見方だな、ということってたくさんあるんだろう。

だからといって、金輪際サヨナラ!鼻息フン!ではなくて、違いを感じるだけでいいし、一時的に離れて、また再会してみてもいい。

…そこに涙する自分もよしとする。

 

不安を感じる度にわたしは自分の芯を知る

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