風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

わたしを見て

今日はぽかぽか、あたたかな日。

梅見日よりの野点日和(自己流ver)でした。

 

 

おばーちゃんずを連れて、近くの梅林公園へ。

お団子とアルコールと最低限のお抹茶道具と水筒にお湯を入れて、広げたレジャーシートに座り、のーんびり。

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よくみたらちょっと欠けてる・・・泣

お団子もスーパーの和菓子コーナーのだし、御座じゃなくて100円のレジャーシート。それでも外で飲むのってなんだか気持ちいい。

正式に習ったことはないのですが、お抹茶をいただくって時間は好き。

 

 

一緒に出掛けた、ご近所のおばーちゃん。ずっと物静かなひとだと想っていた。ご年配だけれど散歩を日課にされている元気な方。

お抹茶を飲み、五分咲きの梅を見ながら、「いいねぇ梅が見れるなんて。久々で嬉しいわぁ」と言っていたのもつかの間、「昔はこんな風に見てられなかった。戦争があったからね」と話だし、そして自分の人生を幼少期から語りだした。

「わたしも大変だったのよね」となんども。

 

普段おしゃべりな祖母もまったく口をはさめないぐらい、ずっと半生を話していた。

 

 

わたしはおばーちゃんの後ろに咲く梅を観つつ、耳を傾けながら、ぼんやりと

 

みんな話をきいてほしいんだなぁ

 

と考えていた。

 

 

たぶんどんな年齢でも性別でも肩書きがなんでも、ひとのこころの内側には、

わたしを見て

わたしの想いを聴いて

わたしを認めて

 

そんなかたまりがあるのかもしれない

一生懸命に生きてきたからこそ。

 

 

じぶんの内側にある、認めてくれくれマンなわたしのことを、

わたしは必死に踏みつぶして隠してごまかそうとしていたけど、

だれかの”認めて”を見つけてから、

自分のそれも、そのままでもいいのかもなぁって想うようになった。

 

そして、

だれかの”認めて”を見つけたとき、

こころのなかがちょっぴり切なく、あたたかくなるのだ

 

気付いてほしかったんだね

でもきっとだいじょうぶ

 

 

みんなあかちゃんみたいなものだ

人生一回目だもの

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続けることと止めること

コツコツと、毎日寝るまえまでにブログを書くことを11月から継続してきましたが、

昨日はまったく体が動かず、パソコンの前に座っていられず、

「あぁーブログぅ・・・」と想いながらもコテン。

 

これまでも深夜12時を超えていたり、投稿したと思ってたら上がっていなかったりしたことは度々起こっていたのですが。

 

1行も書けなかったのは久しぶりのこと。そこで湧いてきた感情は

 

「ああああああああああああーーーーくやしいいいいいいいいいいいいいい」

 

↑実際に声に出ました。

 

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たくさんの人に読んでもらっているわけじゃないけれど、すばらしい文章でもためになるコンテンツでもないけれど、ブログを書くことはわたしにとって大きいものになっていたんだな。と認識するきっかけになりました。

 

去年の11月、3日坊主野郎だけど「ブログを続けてみよう!」と思い立ち、ほぼ毎日投稿してきてもうすぐ〇ヶ月。

自分は飽きっぽく、継続性がなく、”コツコツ”とか”継続”とか、そういう言葉からかけ離れているな、とずっと思っていましたが、

ここにきて、

「あれ、このひと(自分)止めることが苦手な人なのかも・・・」と疑っているのです。

 

ブログを投稿する

 

そのことに、こだわりを持って、縛りをつけて過ごしていたのかも。

眠たい日は何日もあったけど、それでもブログをあげたかった。

それはなぜなんだろう?

 

ブログに固執していたのか、承認要求からくるのか、さみしがり屋だからなのか?ブログが楽しいから、書きたいから、克服したいから、、、

と色々頭の中を探ってみて、全部が少しずつ正解だなと気づきました。

わたしは頭の中を整理することや、考えを言葉にすることが苦手で、その練習のための場所としてブログがあります。ブログを書くことで気づく感情がたくさんあります。そして、コメントを残してくださる方と対話できることが、胸がじんじんするくらい緊張してワクワクします。

 

人間は、慣れる生き物といいますが、最初は続けることが難しかった毎日継続が、大変なりに当たり前になっていき、ないと不自然に感じられるようになるのでしょう。

ブログを投稿することは決して楽ではないけれど、わたしにとって少しずつ習慣になってきていたのです。実際、楽しめている自分もいる驚き。

 

続けることを練習していたけれど、止めることも相当苦手なんだと気づきます。

むしろ、止めることが難しいから、最初から続けることを選択していなかったのかもしれない。相当なビビリなのかも。

 

昨日ブログ書かなかった。

文章にすればそれだけのことなのに、落ち込んでいる自分がいて、そんな自分に驚いている自分もいます。

 

他者を「○○なひと」とラベルを貼りたくないなぁと想いつつ、じぶんにもたくさんラベルを貼っていたようで。

自分がどんなひとなのか、ということはこの世を旅立ってはじめて分かるのかもしれません。

 

長々書いていますが、ブログはもう少し肩の力を抜きつつ、とりあえずまた明日からも書いていきます。

 

 

・・・・なんという長さ。まとめる練習していきたい・・・

 

 

 

 

 

 

You were blessed

たいせつな一日。

おとなになってからも誕生日はやっぱりケーキ。

亡くなってからも、変わらず。

 

去年は米粉のミルクレープだったな。一晩寝かせたらパッサパッサになっちゃってた。

今年も懲りずレモンチーズケーキを焼いた。砂糖控えすぎて、甘味が25m先で必死に手を振っている、みたいな味になった。うーん、お菓子はやっぱりちゃんと測らないと。

 

なんの信仰でもないけれど、創ったケーキは写真の前へ。結局わたしが食べるのだけど、見せるだけでも見てもらいたくなる。手作りだから、ゆるしてね。

 

 

 

自分の誕生日も色々想う日だけれども、ハハの誕生日も嬉しい日だ。

ハハが生まれてきたから、自分もこうして甘くないケーキを食べていられるのだ。

亡くなってから、むかーしの、こども時代のハハの写真がでてきた。

かわいかった。

悩んだあれこれの話も少しきいた後は、タイムカプセルに乗って、リトルハハに逢って頭をなでてあげれたらな、と想った。

 

じめじめ悩んだり、ひねくれたり、おちゃらけてたり、そんな不器用な人生を歩んできたと想ったら、やっぱり愛おしくなった。

 

 

居なくなってからも、たくさんもらっている。

あなたのおかげでわたしは、泣いてるし、怒っているし、笑っている。

傷ついているし励まされている。

意味なんてなんもいらないと想いながら、意味を見出し続けている。

そして今も生きている。あなたのおかげだよ

 

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おまけ

毎日職場で散歩をしている。

利用者さんの健康のために30分くらい近くをぐるーっと歩いて回る。

利用者さんのためと言いつつ、同行する自分の健康にもちゃっかり助かっている。

外を歩いていると、季節の変わり目とか、毎日の天候の変化が細かく感じられるから好きだ。

 

公園でブランコをにこにこしながら漕いでいる利用者さんを風の冷たさに震えながら見つめる。

 

ふと、気づく。

わたしたちは結局のところおんなじなんだと。

 

どれだけ肌の色も、性別も、年齢も、障害があったりなかったりしても、性格がやさしくても非情でも、

体を燃やしたら残るのは、みんな骨。

 

わたしたちが気にしている外見や他者との違いって、一番表面の、全体でみればとてもちっぽけな部分だ。

 

ただの生命であれば、自分のいのちを繋げる以外に何の興味があっただろう。

優しくなくたっていいし、醜さや美しさの概念も存在しないのだろう

 

 

それでもわたしたちはこころをもった。

おしゃれにこだわったり、個性をもちたがり、ひととのやりとりに一喜一憂する。

そんな複雑さとややっこしさを持っているのが私たち人間なんだと。

 

 

おまけをもらっているのだと想う。

このおまけは時に切なかったり苦しさも含んでいる。葛藤したり悔しくもなる。

このにんげんの苦々しさを、最後の瞬間まで味わっていきたい。

 

 

今日もからだを動かすことができる

感情も波のように日々変わる

生きれた、よかった

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慣れる能力

にんげんは慣れる生き物だ。

 

3年前、東京マラソンに出た。

友人が「ずっと8年ぐらい応募してるんだけど当たったことないんだ。とりあえず応募だけしちゃおう!」と誘われたので、複数の友人で応募をした。

そして当選したのが、わたしと誘った友人Aさんだった。

当時5キロ走れたらいいほうだったわたしも、当選したなら完走したい。

参加費も払っちゃったし、東京に行くまでにも交通費もかけていくのだ。途中で根をあげたらいろいろもったいないではないか。

 

そう思って練習を始めたのは3ヶ月前だっただろうか。

ちょっと早歩きでひーひー

ちょっと走ればぜーぜー

 

なるほど、これはキツイ。このままでは人込みを見ただけでリタイヤしてしまいそう。

ラソンの練習着一式を買い、使い古すぐらい使おうと決め、毎日の練習がスタート。

 

ラソンってどうして横っ腹が痛くなるのだろう。

 

毎朝5キロのジョギングをするのが日課になった。

一日目は足がパンパンに。

二日目は起きるのがしんどかった。

三日目もぐずぐず言ってた。

4日目は朝日を見るためだけにとにかく起きようと、自分を鼓舞した。

そうやって一日一日を過ごしている間に、走ることに慣れていった。

走るということが自分の中で自然になっていった。

 

にんげんってすごい能力を持っている。

慣れることができるのだ。

 

 

想えば、いまのわたしは過去の慣れるまでの経験が積もってできている。

箸を使うことができているのも、

お風呂で髪の毛を洗えるのも、

自分の名前をすらすら書けるのも、

家から職場までの道を間違えずに行けるようになったのも、

 

ぜんぶぜんぶ繰り返し繰り返しを続けて、”あたりまえ”を増やしていったから。

続けていくことで自然とそれを受け入れていく。

 

 

今のじぶんに足りないものがあると落ち込むことがあるときは、今もっているものを見つめてみる。

当たり前のようにしているあれもこれも、ひとつひとつ身に着けたもの。ひとつひとつつけていった力。

今のわたしはできることがたくさんある。

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誰かを引きずり落としたくて、その言葉を使っていないだろうか

短い動画を見た。

原発事故から避難した人たちと被災した人たちが1本の道路を挟んで総合団地で生活してきて、

お互いに誤解や偏見があったけれど、対話を始めていったというドキュメンタリー。

 

原発事故からの避難をしたひとにはそのひとたちの苦しみがあって、

被災したひとたちにも別の苦しみを持っていて、

その間には見えない溝があったそうだ。

 

でも、対話の機会を重ね、本音を話していき、お互いの苦しみを知って、少しずつ誤解のかたまりが溶けていったと。

 

すごくお互いに勇気のいる対話だったのだろうなと思う。最初に対話していきたいと言った方の心情を想うと、怖かっただろうし反対もされただろうと。

 

 

偏見だったり差別は、事実いろんなところで起きている。

今もジェンダーだったり、年齢や障害や人種といったものをきっかけに人と人との間に隔たりが日々起きていて、それで反発や虐めが浮き彫りになっている。

 

社会のしくみはむずかしいけれど、

どんなことでもきっと共通していることがあって、

みんな余裕がなくて、自分の辛さでいっぱいいっぱいなんだよな

と想う。

苦しさのタンクが溢れそうになる時、

隣の人のタンクは自分より全然はいってないように感じたことがある。

わたしはこれだけ苦しいのに、

と口からこぼしそうな時、自分を助けたくて、辛い時間から逃げたくて他者を傷つけてしまうことがあった。何度も。

わたしが苦しいときに相手が苦しんでいないと、なぜ言い切れるのだろう?

 

 

誰かを引きずり落としたくて、その言葉を使っていないだろうか

自分を正当化したくて、誰かを責めていないだろうか

時々、じぶんのこころに聴いてみる

 

 

多様性の時代と言われつつも、分断が激しくなった社会と言われて久しい。

その社会の中で生きていても、苦しみの連鎖を続けなくてもいい。

革命はちいさな範囲からだ。

 

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できたこと、できること

実家に行ったら、アサリとシジミがあった。

チチがドライブしたお土産にアサリ、祖母がスーパーでシジミをそれぞれ買ってきたようだ。お互いに出かけたことを知らずに、同じ貝類を買ってくるこの確率。

お互い嫌い合っているとは思えない。

やっぱり前世が双子だった説は濃厚だ。

 

ひさびさに大きな地震があったよう。

私の住む地域は揺れは小さかったけれど、みなさんの住んでいるところは大丈夫でしたか?

 

3月11日も近づいてきましたが、10年って長かったのかあっという間だったのか、言い切れない難しさがあります。

 

震災後の2012年1月に気仙沼の復興支援に参加しました。

9ヶ月経っていたけれど、実際に周ってみると、倒壊した建物や崩れた道路がたくさんあって言葉がでてこなかった。

2週間で何ができたという感覚は全く、ただただ現実としてそこに起きたことを知ることしかできなかった。

「また東北へ来て。遊びに。それが一番ありがたい。」現地でコーディネーターしてたおじさんが言っていた。

ごめんね、おじさん。あれ以来なかなか行けていない。

 

建物や街は少しずつ形を変えていく。

ではひとのこころはどうなんだろう

 

震災当時は留学先の春休みだった。

寮のテレビで津波の映像が繰り返し流れていた。

旅行の予定だったけれど何を見ても映像が頭に流れてきて何一つ楽しめずに心がずっしりとしたまま過ごしていた。

実際に体験していないわたしでも心が折れていた。

実際に揺れを体験した人はどれほどの恐怖であっただろう

想像しようとしてもできないのだろう

 

 

 

哀しみはいつか薄れていくのだろうか

淋しさやくやしさは生きていくことで乗り越えたと言えるのか

がんばれ、なんて言えないよな

絆がどうとか、おこがましいな

 

 

無力なわたしは今日あたたかくして眠れているひとがひとりでも多いことを願う

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亀山からの景色