自然が教えてくれる
先日、雨が降ってしまう前、桜を見に行きました。休日の朝早く。犬のお散歩している人や自転車の練習する親子が遠くの方にちらほら。
用水路沿いに桜が咲いている桜一本一本を見るのが楽しい。
もう葉っぱが出てきていたり、花びらは落ちていて、おしべとめしべがむき出しになっている。
鳥の鳴き声が聴こえてきたので目を向けると、どんと構えた大木の枝に2,3羽止まっていた。メジロかな?と思ったが、こんな街中にいるのはきっとスズメだろう。無理に近づいて移動させては嫌だし、視力が悪いので顔周りの色までは分からなかった。
鳥がちょっと動くだけで、花びらはどんどん落ちていった。風に舞って一枚ずつだったり、かたまりのままぽとっと床に落ちて行ったりする。
桜ってすごいなぁ、と想った。人間に「ここに居なさい」と植えられて、たくさんお世話を受けないと育たない繊細さがあって、鳥とか虫とかにも自分を使われていくことを当たり前のようにやってのけ、雨や雪が降ってもじぃーーーとその場で静かに居る。美しかろうがそうでなかろうが咲いては散り、また芽吹くを繰り返す。
全部静かに受け止めて、できる限りをして、生き続けている。
みんな植物はそうなんだけど、わたしにはできるのかと言ったら、できんなぁ。
もし生まれ変わった時に、
神さま?に「お前は次は桜だよ」って言われても泣いて無理ですと言いそうだ。
じっとしているの、苦手だしなぁ。
今世はにんげんなので、そのままじたばたしたわたしでいよう。
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さりげなく、3月から名前を入れてみた。Medeluというで一見読みにくそうな名前。
愛でる・芽出るのメデル。イギリスの歌手アデルみたいなイントネーションで。
これから愛でていくものはなんだろな
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葉桜をたくさんみかけた。
葉桜って次のはじまりのような気がする。この緑色はエネルギーだな、と想う。
映画の予告か何かで「始まりは終わりの始まり」(うる覚え)というフレーズを聴いたけれど、終わりこそ始まり。終わったらこそ始まれるのかもしれない。花が落ちないと新芽はでてこない。
きっといのちが終わるとき、なにかが始まっていくのだろう