風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

何も贈れなくとも、できること

日付が変わってしまったけれど、母の日でした。
車で花屋さんの横を通ったら、歩道を花束を抱えた男の子が小走りしているのが見えた。
誰かを想っている姿ってなんだか愛おしく感じるな。

今まで母の日は、何かをしたことがなかった。ハハが義理の母(わたしの父方の祖母)に、何を渡したらいいかを一緒に考えるのが定番だった。

「去年は、何にしたっけ?」とか、「困ったなぁ、間に合わないよー!」とか、そういう事を言い合っている時間の方が記憶に残っていたりするんだなぁ。


さて何ができるかなと考えた今年の母の日。
ハハが大切に感じていたひとたちをじっくり視ることをしてみた。
特別に何かするわけでもなく、見るそれだけ。

チチの白髪の数は増えたなぁ…生前のハハの事をわたしと話したがっている。自分の中で大切にしたいんだよなぁとチチを見て改めて想った。
ハハのことを話すときの目は淋しそうにやさしく垂れる。
祖母は寝起きの髪がくしゃっとしているなぁ…たくさん寝るようになったけれど、喜び方がちょっと分かりにくいけれど、根っこはとても素直なひとだ。
草餅のことを柏餅と言い間違えてるけど、つまりはおいしかったと言いたかったようだ。


ハハは空から見ているのか。
どうやってこちらの世界が見えているのか。
死後の世界があるのかはわたしには分からない。
今の間は、わたしの眼にたくさん記憶を刻みたい。ハハが大切に想っていたひとは地上のにんげんから見たらこんな風だったよ、と。

いつかおんなじ場所へ行くことがあったら、この景色を映写機にでも写して一緒に見たいなぁ。
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去年の母の日は、

今日は、母が産んでくれた自分自身を大切にする日😊化粧水をあびるようにつけることもいいのだ、今日は✨

と、呟いていた。
今年は朝のお味噌汁の具材増し増しで作った。自分の身体を大切にしてみよう。
こういう機会があると、言葉にしよう、実行しようとおもえる、ありがたいなぁー。