風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

やさしさと点

ひさびさの更新。

前回の投稿がちょっと重たい内容だったろうなと想いつつも読んでくれた方がいたことが驚きつつも嬉しくて小躍りした。

その気持ちのまま、書こうと張り切っていたけれど自分の体に阻まれる。

貧血でパソコンの前に座っていられない日が続いた。く、くやしーーー。

やっと治ったなと思ったら、慌てたのか人参ではなく自分の指を切る。

たかが皮膚。されど皮膚。痛さでひーひーいいながら日付が変わってしまう。あーあ・・・

 

からの今日。

久々すぎて、緊張している。

どうやって書くんだったかな、書いたの誰かが読んでくれるんかな、どれくらい時間使って書いてたっけ?などもくもくと不安ちゃんがでてくる。

 

不安になるほど、ブログという場所がたいせつになってたんだなぁ。

心配性のじぶんはおもしろい。こっけいで。

 

 

 

元気になってきたので読書欲がむくむくして、買いだめしていた本に手を伸ばした。

今日の本は「6畳間のピアノマン

 

先日NHKでやっていたドラマにくぎづけになった。

www.nhk.jp

わたしが視たのは全4話のうちの3話と4話だったけれど、なんというかひきつけれたなぁ。

4話を見終わったその足で本屋へ直行し原作本を買った。

 

ドラマは原作と違う部分もあったけれど、どちらもじんわりとこころで拡がるものがある、そんなものがたりだった。

 

ものがたりにでてくるひとはみんなそれぞれの後悔を抱えて生きている。

ひとつの出来事に対して、時が経っても、自分がああしていれば…という想いを持ったまま自分の人生を生きていく。

 

ドラマの中で、6畳間のピアノマンの”Piano man” の演奏が素晴らしくて、その反動に切なさが押し寄せる。

 

「優しさは弱さなのでしょうか」

彼は息子を想いだしながら問うているのだろう。だが警察官としての在り方にも繋がる問いに、私は口ごもった。優しいだけの警察官は、弱いとみなされる嫌いがある。だが、一般の人に限って言えば、優しいだけの人間は本当に弱い人間なのだろうか。

・・・

「優しさだけでは生きていけない。他人を蹴落としてでも勝ち残れ。やられたらやり返せ。小さな頃から、そう教えていればよかったのかもしれません。」

優しさだけでは生きていけない。それもまた確かだ。だが、全てではない。

「少なくとも、優しさと弱さは別物だと思います。ええ、違いますよ」

 

遺されたひとの淋しさ。苦しさ。居なくなったひとが本当はどう感じていたかは分かることはない。だからこそ、ひとはもっとこうしていれば…と感じるのだろうな。

答えはずっと分からない。だから生きるしかない。生きるしか。

 

「お前もある意味、無敵になろうと肩肘を張っていないか」

「ぼくは誰とも、何とも戦わない。なぜなら、はなっから関わらないからだ」

「それは結局、無敵になりたいからじゃないのか。向かうところ敵なし」

「違う」

「いや、違わないよ。誰とも関わらなければ確かに敵は生まれない」

誰とも関わらない人生は、楽しいか。大友の歯に衣を着せぬ物言いに、僕は怯んだ。

 

わたしは一つの場所に留まってそこで人間関係を創っていくことがどちらかというと苦手だ。人の感情にひっぱられてそこで体力を失って呼吸の仕方を忘れてしまう。でも一方で人に逢ってみたい、いろんな人を知りたいとも想う波もある。

人と関わらず生きることも、やろうとすればできるのだろう。でもそれが本当にしたいのかと言われたら、違うような気もする。誰かと衝突したり傷つくことが大嫌いだ。誰かが哀しんでいる顔も見る瞬間が辛い。哀しい想いはしたくない。だけど、誰かとつながった時の嬉しさを、心のどこかで楽しみにしている自分がいる。

 

ものがたりの中で、ひとりの男と彼の周りのひとたちが、気づかないうちに影響を受け合って、人生を歩んでいく姿が描かれている。

ひとって、自分が意識しているよりも、もっともっと拡く深く、他者と関わっているのだろう。

わたしがこうしてブログを書くことも、またひとつ、世界の小さな点なのだ。

 

 

 

ビールのシーンがとっても、いい。読めてよかった

 

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