風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

身体へ

天気は雨。朝からお隣さんがギターを弾いていた。壁が薄い安いアパートでは隣人の生活音がなんとなく聴こえてくる。

あんまり上手ではなさそうだが(失礼)、聴こえるとどこかほっとしたりもする。

どんな人なのかはほとんど知らないが。

 

 

 

今日と言う日があと1時間で終わる。特別なことをしたわけではない1日だ。

それでも31年間という中の1日。2021年3月21日を経験するのはこれが最初で最後。31歳を体験するのもこれが最後だ。

生活を続けていくと、毎日が同じようで、長い永い延長戦上にいるように感じることもあるけれど、

たぶん瞬間瞬間の点を繋いでいって、はじめていのちの線ができる。

特別なことをする必要もない。笑わなくてもいい。生産性がなくてもかまわない。

それでも生きた時間には変わりない。自分を生きてさえすれば。

 

今日も私の身体は動いた。

心臓は止まらなかったし、足は前に進もうとした。目はせかいを映していた。内臓は消化や吸収に忙しく精をだしている。骨や筋肉も支えてくれているので、現状、状態を保っている。

えらい。私の身体。

ずっと休みなく頑張ってる。睡眠がうまく取れなくなっていて、回復しずらいだろうに、ごめんよ。

ガンダムモビルスーツみたいなものだろうか。今の自分が持っている身体はこれひとつだ。好きだろうが嫌いだろうが代えはない。

この身体はいつか終わりがくる。

それがいつなのかは分からないけれど、今日はいままで動き続けてきた身体を、触ってみる。

 

よしよし。

 

ペットをなでるように。

こどもをあやすように。

 

そっと今までの点を労わり、そして次の点を祈る。

そんな31年最後の日

f:id:momonootayori:20210321231655j:plain

 

 

追記**

このブログを書いたあと、Youtube開けたらCoocoがダンス上げてた。

かわいい。そしてやさしい。

「手当て」

www.youtube.com

ふふふのふ。