風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

ハハの部屋を整理する。

亡くなる前に借りていたアパートの一室。

ずっと使っていなかったけれど、触ることがみんなできなかった部屋をようやく片付けた。ずいぶんと時間がかかったけれど、わたしたちには必要な時間だったのだと思う。

決断ができたこと、わたしたちよく頑張ったねと言い合いたい。

 

退居の日、なんにもない部屋で畳の上に座ってみる。

この場所でたくさん想い出があった。

お金は使ったけれど、やってよかった。

たくさん泣いたしたくさん笑った。たくさん腹立った。

すてきな場所だった。

 

 

 

祖母とチチは相変わらずの仲で、同じ家の中で普段は目も合わさず避けるように過ごしている。

家の中が冷戦状態でわたしは近くに部屋を借りて行ったり来たりをして過ごしている。

ひとの感情を感じ取りすぎてしまうわたしにはリセットの場が必要で、この距離感がいい。

 

祖母は元々味覚音痴のようなのだが、年齢とともに薄味を認知しづらくなっているようで、わたしが薄く炊いた煮物は味がしないと怒る。

その度に「塩分取りすぎるとよくないから愛情やでー」と返すのが常だ。

 

そんな祖母は無類のポン酢好きで何に対してもかけたがる。塩コショウをしても追いポン酢。醤油があっても追いポン酢。そして最近はサラダにお得意のポン酢と、横にあるゴマ豆乳ドレッシングを混ぜる、わたし的には暴挙にでた。

その度に「えー嫌だそれ」と横でぐちぐち言ったいたけれど、祖母は気にしない。

 

そうやって自分でなんでも同じ味にしたり、全部料理を混ぜたりするのを見て、チチはぶつぶつと文句を言っている。

 

 

そして今日。

わたしは見てしまった。

チチがサラダの上にポン酢とゴマドレッシングをかけているのを。そう祖母のやり方とまっったく同じやり方。

 

突っ込むと長くなりそうなのでチチ本人には何も言わなかったが、心の中で大笑いした。

 

思えばチチと祖母は趣向が似ている。

食べ物の味の好み、好きなもの、ひとのためにおせっかいする性格、見栄っ張り、トイレや洗面所を使うタイミングまで、まぁよくかぶる。

 

かぶることが多いので日常的に揉めているのだけど、お互いに嫌いと言い合ってるのって、もはやすきなんだろうな。

 

ハハは肉親の祖母に対してうまく接することができないと悩んだり、落ち込んだりもしていたけれど、祖母に似ているチチを選んだのは、祖母のことがやっぱりこころのなかでは好きだったのかなぁとも思う。

 

チチのことをめんどくさい、と愚痴をこぼしながらもずっと一緒に居たのはチチをしんらいしていたのかなぁとも思う。

 

ハハはここには居ないけれど、あとになって答え合わせができたような気分。

上からみて、今日も笑っているんだろう。

 

憎み合おうが、好きでいようが、影響しあうことに変わりはない。

これから離れるとしても、ずっと一緒に過ごしたとしても、だ。

 

 

ハハは祖母とチチを繋いだ。

そしてわたしが居る。

 

その繋がりにジャッジはいらないのかもしれないなぁ

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