風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

わたしがつかったお金

「100万あったらどうする?」

職場でふいにでてきた言葉?

 

100万円かぁ・・・

 

 

・・・

 

・・・

 

・・・奨学金返すのに使うかなぁ

 

 

なんておもしろみのない解答でしょう。

 

 

 

むかーしむかし、こどもと呼ばれていた頃は100万円って大金だったなぁ

 

両手に抱えきれんほどなんだろうと想像はよく膨らんでいた。

高校生の時、部活の演奏会での資金集めに奮闘し、100万近く集めたときは興奮してみんなで写真を撮ったりもした。

そのぐらい、当時のわたしには100万円はおおきなおおきなお金だった。

 

 

おとなと呼ばれるようになりいくらか年数が経ち、お金との付き合い方もより具体的になった。

扱う額も変わってきた。

100万で手に入れれるものもあれば、100万では手に入らないものもたくさんあることを知っている。

 

大きな買い物をすると想えば、100万円ですべて補うこともできないだろう。

 

 

しかし奨学金の返済にあてるというのは、夢がないなぁと言われればごもっともかもしれない。

学生と呼ばれる時間を人より多く過ごしたため、奨学金なしでは生活できなかった。

なぜか留学という道を選択したために、もろもろのお金が必要だった。

帰国して数年。

普段使わないと、衰えるのが語学というもの。

ニュースや動画でしか触れていないと、哀しいかな脳の英語への反応が鈍ってきているのをひしひしと感じる。

まぁ、語学への情熱はもともと高くはなかったのだが。

 

わたしがそれでも渡米生活をしてよかったと想うことは、たくさん挫折を味わったこと、自分自身を知る機会を多く得たこと、文化や個人の意見をたくさん触れることができたことだ。

 

日本でももちろんできたこと。でもわたしには異文化の中で、より新しい環境で経験をして挫折することが必要だったし、結果として今自分についての探求につながっていると想う。

 

 

コロナで今後がどうなるかは分からないけれど、行きたいこと、やりたいことがなんとなくでもあるひとは、知らない世界に行ってみるっていいよ~ってテレパシーで伝えてみたい。知らない世界は国内でも国外でも宇宙でも、どこでもいいのだけれど。

 

 

 

想いだしたので、まとめて返済できる分はさらっと返済することにしよう。

もっとお金があったら、寄付することもやってみたい。

寄付はわたしの好きなアメリカ文化のひとつだ。みんな寄付をすることに抵抗がなくて、さらっときもちよく寄付していた。

 

楽しくお金を廻す、そんなことがおとなの楽しみなのかなぁと想う。

金欠マンのわたしののんびりした夢だ。

 

 

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住んでいた家から自転車で走って10分の湖 夕日を見る時間がすきだった