風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

言葉は刃

今日たまたまついていたテレビで、

www2.nhk.or.jp

 

コロナ禍に自宅からラジオを発信している大学生が、学生たちの声を聴き、その現実をどう受け止めるのか、どう向き合うかを追ったドキュメンタリーだった。

 

その中で、ずっと発信を続けていた大学生が、自分の言葉で誰かを傷つけてしまうのではないかと葛藤している場面があった。

 

 

言葉は刃になる。

その感覚はわたしにもずっとあった。

数年前は特にそれが怖くて、発信することを避けていた。

ひとと会話するのも、ものすごく慎重にしなければと気を張っていて、緊張で疲れるのでなかなかひとに逢えないと、なかなか息詰まっていたと想う。

 

それが今、毎日ブログを書いているだなんてね。

 

 

言葉に怖がっていたのは、

全部過去の経験がもたらしたものだ。

誰かの言葉がとげのようにささったこと、

誰かの心に穴をあけてしまったと気づいたこと

おとなにすこしずつ近くなるたびに

言葉の怖さを蓄積していったんだな。

 

 

今も、言葉って人を傷つけることがあるよな、と想う。

SNSで直接会わずとも、攻撃や非難することができる。

たったひとことで、体が動けなくなるぐらい苦しんだり、生きることを諦めたくなることもある。

悪気がなくても、意図がなくても、人の心を変えてしまう。

魔物。

 

 

 

だけど、ことばは刃のように傷つけるだけじゃない。

そのものに形はなくても、

ひとのこころを温めたり、感動することがある。

ほっとすることもできる。喜ばせることもできる。

 

 

ひとりひとりが当たり前のように持っているようで、

それでいてあたたかくなったり、急に冷たく感じたりもする。

知らない世界へ連れていってもくれる。

 

 

口をつむんでいることは簡単だけど、それで世界はなかなか広がらない。

出さないと、吐き出さないと見えない景色がきっとある。

 

ブログを書き始めて、今まで全く接点のない方が読んでくれたり、コメントをくれたりする。

巡り会わせは、出すことから始まっていた。

 

 

 

言葉は刃だ。

わたしはひとを傷つけることが大嫌い。

傷つけられるのも怖い。

 

それでも、言葉を綴ることを、表すことを今日も続けたい。

わたしがだれかと出逢うこと、知らない世界に出逢うこと、

そのはじまりは言葉から。

 

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