「自己肯定感」を肯定しない自分を肯定する
少しずつ、このブログを読んでくれたり、スターをくれる方がいるようです。
うぎゃー!なんてことだ!う、うれしい・・・
頭の中の整理整頓に書いている部分が大きいながらも、やっぱり読んでいる方がいる、という感覚は新しく書く上での心構えが違うと言いますか、
よし、今日も書くぞ!というスイッチが入ります。
まだまだ表現はまとまらないものも多いですが、どうぞお付き合いいただけたらうれしいです。
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「自己肯定感」
最近SNSやメディアでよく見かけるようになった言葉です。
自己肯定感ってなんだろう? Google先生に聞いてみると
148,000,000件のヒット。
いち、じゅう、ひゃく・・・・ゼロ多すぎる・・分からんくなった・・
一億四百はちじゅうまん・・????
ものすんごい数だナァ・・・・
関係ないですが、わたしはものの数を数えたり、5桁以上の数字をすぐに読めません。
留学時代、数字の表記読みに一番苦戦したー‼
さて、自己肯定感とはどんな意味なのでしょう。
自己肯定感(じここうていかん)とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉であり[1]、自尊心(英語: self-esteem)、自己存在感、自己効力感(英語: self-efficacy)、自尊感情などと類似概念であり同じ様な意味で用いられる言葉である。現在、これらの言葉は多義的に用いられることが少なくなく、結果としてあらゆる肯定的な心理的要素を表現する包括的名称(umbrella term)となっているという指摘がある。
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わたしは「自己肯定感」アレルギーです。
??
「自己肯定感」という言葉に対して、アレルギーのように反応します。
どういうことかというと、
「自己肯定感」という言葉には「高い」やら「低い」やら「あげる」などの言葉がひっついていることが多いようです。
書店でも動画でも関連のものをよく見かけます。ほんとうに、たくさんの関連物が世の中にあふれている・・そうそっこら中で目にして、
しつこいわー!
と腹が立ってしまうほど。
「自己肯定感」を挙げたり、下がっているって気にしてるうちは全然肯定できてないじゃんか・・・と想うのです。
自己肯定感が上がっているのがマストだと、そう感じる方が私にはしんどいな。
上げようと意識したり、自分が下がっていると意識することって、なんだかそれこそ自己を認めていないのでは?不自然なことやないの?
そう想うと、素直に聞いてられない自分がいて・・
もやもや~なんか嫌だな~ってずっと思っていました。
でもあれ?
「自己肯定感」という言葉にこんなに反応してるのはなぜ?
とふと気づいたときに、ぐおぉぉーーーっと頭の中が動き始め、
はっ、っと答えがでました。
わたしは自分を否定したくないんだと。今の自分を認めないのは嫌だとどこかで思っているし、否定したい気持ちもしっかり持ち合わせている。認めたい部分と、自分という存在がどんな人物なのか言い切れない、断定したくないようなもやーっとした気持ちがあるようだ。
だから言葉にも過剰に反応しているのだと。
自己肯定感なんて、気にしてない人からしたらどうでもいいことやん。
だって当たり前だもの。
あかちゃんはそんなことば知らなくたって十分満たされてる。
当たり前のように泣くし、笑うし、怒るし。瞬間的に生きている。
いまのわたしは
そのままでOK、ありのままでOK、そう言える自分と、
いやいやありのままって、どんな自分ってこと?
変わることでやっと輪郭ができてくるんじゃないの?という、2種の資質がでたり入ったり。
頭上からタライがおちてきたようだ・・・
がーーーーーん
でも、いまのわたしは
まず、『「自己肯定感」という言葉が好きでない自分』を否定しない、ことにしました。
好きでないもんは好きでない!
わたしは頑固もの。それでいい。
がんこなわたしなので放っておきましょう、いまの間は。
・・
結果的に自分を肯定している気がする・・・
もしかしたら、こうやって「自己肯定感をあげる」カウンセラーの方々の思惑にのっているのだろうか・・・
もしそうなら・・・・きっかけをありがとうございますだなぁ・・・