風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

認めたかった罪悪感

家族のことを綴ったからか、久々にハハの夢を見た。

 

momonootayori.hatenablog.com

 

 

最期の方だったように思う。健康な状態ではなかったようだ。ハハがしゃべってくるというより、自分がただハハの目の前で泣いている、そんな映像だった。

夢の中でこれは夢だと知っている。現実にハハの姿はないのだ。

でもあえて嬉しかったのだ。病気の姿でも、やっぱり声が出たし、抱きついた気がする。

夢の中で泣いていたのは、自分の後悔に気づいていたからだ。

ハハのいのちの終わりには、心が揺さぶられるほど、「あぁよかった」と想えた。

それはほんとうに、強くつよく想ったのだ。

 

 

だけどおんなじ心の中に、確実に”後悔”も住み着いていたのだった。

「あの時もっと早くきづいていたら・・・ 無理やりでも○○していたら・・・」

「わたしがあぁしていなければ、今頃生きていたのだろうか。もっと長く生きれたのでは?いのちの長さを変えてしまったのではないか」

 

そんなことがずっと湧き続けているのだ。

静かに、でもずっとその想いが在った。

 

 

 

1年間、この罪悪感をなかったことにしてきたのかもしれない。

認めてしまうと、自分が立っていられないような気がしていたのかも。

自分が許したくなかった。でも認められないのも苦しかった。

矛盾をかかえたまま、見送ってから1年が過ぎた。

 

 

 

そして夢の中で、自分が隠していた罪悪感を見た。

胸がはりさけそうだった。

 

でも、ずっと認めたかった気持ちでもあった。

わたしは悔しかった。旅立つハハの前ではなにもできることがなかった。

ただ最期の生き様を見ることしかできなかった。

無力だった。

 

 

でもあの日違う行動をしていたらわたしが後悔することはなかったかどうか、分からない。仮定の話に答えは出ず、堂々めぐりなのだ。頭では理解しているのに。

 

 

今の自分にできることは、そのこころの中の罪悪感を認めることだ。

どれだけ慰めの言葉を聴いても消えていきそうにもない。

 

 

たくさんの”もしも・・・”を考える癖が止まらなくても、

それで仕方がないのだと

そんな状態のまま、もう少し騙し騙しでも今日を生きていく

 

 

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