風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

全部、ご近所

SNSで過去の投稿が出てくる機能を見ていると、9年前の自分の投稿がでてきた。

 

アメリカ留学するって決めた時母は、「よかったー行きたいのがアメリカで。宇宙だと逢いに行くのがちょっと難しいし、時間もかかるけど、アメリカなら1日くらい有れば逢えるしね」って言って笑ってた。東京だろうが熊本だろうが東北だろうがアメリカだろうが宇宙から見たら全部ご近所さんだな:)

 

当時、これを言われた時はアメリカの大学へ編入すると決めたときだった。一番最初に相談したのがハハだった。なぜ宇宙がでてきたのかというと、当時宇宙飛行士の山崎尚子さんが スペースシャトルで飛び立ったことがニュースになっていたからだった。

 

ハハはずっと実家で過ごし、家を出た経験がなかった。

だからこそ自分の子どもには外へ出ていって色々見れるといい、とよく言っていた。

 

きっとハハがそうしたかったのだろう。

若いころはバイクを乗り回し、過ごしていたようだ(族ではなく、バイクがただ好きな人たちの集まりに参加してたのに、子どもの頃聴いたときは不良だったんだなーと想った)

40代になり、別の仲間ができてからはどんどん国内外に出ていく機会も増えていた。

 

 

でも本当は淋しかったのかもしれない。

わたしは子どもも、自分の作った家族も今はいないから分かりかねるけれど、

産んで育てた子どもが巣立っていくのって嬉しさもありつつ、ざわっとさみしさがあるんじゃないかなぁ。

 

すぐ淋しいと口にだすチチに比べ、ハハはあんまりそういうことを口に出すことはしなかった。

「でも、すごく大事なことだよね」と、わたしの気持ちに対して言葉をかけ続けてくれていた。

 

わたしはハハの淋しさを知らずに、ただただそうやって、肯定してくれたハハが居ることが嬉しかった。

ハハが味方でいてくれることは、前を向くときに一番の力になった。

 

 

 

 

宇宙からみたら、全部、近所だよ

 

と、ハハは笑って言ったけれど、

本人が遠く、見えないところまで行ってしまった。

アメリカよりももっともっと遠く、はるか彼方へ。

 

 

わたしは帰ってきたんだよ

近くに来たのに、なんで遠くへ行っちゃうの

 

あの時、感じたハハの淋しさって、

今自分が感じている気持ちと近いような気がしている

 

逢いたいよ

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