風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

決めつけず、創っていく

↓この記事をたまたま目にして、

togetter.com

 

確かになぁー!ってうなづくところがあった。

 

祖母のゴシップ話に、○○さんは外食しててとか、○○の趣味ばっかりやってるとか、聴いてなくても教えてくれようとしているけれど、ジェネレーションの問題なのか?

 

誰だって、自分を喜ばすためにお金を使えばいいと思うんだけどなぁ。

 

なんだか、お金はちゃんと節約しなきゃいかん。

慎ましく生活しなきゃいかん。

外食なんてもったいない。高いもの買うなんてもったいない。

おしゃれなんてせんでもいい。

 

みたいなの、ずーっとずーっと聞いてると、

 

うっせーーー!!!!

 

ってたまに言いたくなるー!

 

 

まぁ戦争や戦後を経験していると、

お金がない、お米がない、という危機感が根底にあることで

 

いろいろな我慢・忍耐の習慣が身についているようだ。

それが良いか悪いかではないけれど、

他人に押し付けなくてもいいよなぁ。家族でも。

 

慎ましく生きることと、生活を充実させることはイコールになるとは限らないと想う。

 

祖母はたぶん長年苦労をしてきた。

必死に働いてきたし、子育てもしてきた。

 

だったら尚更、いまなら好きなように時間もお金も使えばいいし、

家族や他の人のこともほかっておいてくれたらいいなぁ。

 

おいしいものだって食べて笑っていいやん

皴があったって写真に写ったっていいじゃん

カラフルな服着たって、お化粧したって全然いいじゃん

 

ひとのことを「あのひとなんて・・・」って言ってる顔より、好きなことしてけらけら笑ってる方がいいじゃんか。

 

節約に燃えているならそれもよしだし、

慎ましく生きることに美を見出すならそれもあり。

 

菜食主義でもいいし、

ミニマリストでもいいし、

外食生活で自分が潤うならそれもひとつ。

ブランドが好きなひともいれば、

500円玉を貯金箱へ入れている瞬間にめっちゃニヤニヤしてるひともいるだろう。

マンガやアニメにお金を費やす人は経済に貢献してるし、

寄付することに歓びを見出すひともいる。

 

ばらばらでいいじゃんね。

ばらばらがいいじゃんね。

 

自分の経験からの価値観が

すべてではないのだから。

 

 

みんな人生を一回しか経験してないのだから。

みんなおんなじ。 年齢は関係ないね。

 

価値観を増やしていく時代を創っていきたいなぁ