風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

違うよ

寒かったりあたたかったり、変化しながら確実に春に近づいているように感じる。

 

梅もすこしずつ咲いてきているし、花粉は飛んでいるし、春だ!

 

・・・最近やたら眠たいのも、きっと春だから。そう春だものしょうがない!

 

 

今日の晩御飯は鶏肉団子のトマト煮込み。前日に作り置きしてあったから味が染み染みでおいしい。ずっと食べたかったからわたしはうきうき。

テーブルへやってきた祖母「これなに?」

わたし「トマト煮込みやよー」

祖母「へぇ。これ中華料理?わたし和食がすきなんだけど」

 

どうみても洋食だろうが!と突っ込みを入れたいところだけれど気になるのはそこではない。

 

一口食べて(嫌そうに)「これ、おいしいの?なんかわたしはすきじゃないんだけど」

 

おーい、そんな顔で否定してくれるなー!作った方は哀しくなるではないか。いや、創ったのは姉だけど。

 

「あなたが和食が好きなのは知ってる。でもたまには他のも食べようよ。わたしも好きなもの食べたいんじゃ。

ちなみにあなたの作った切干大根の煮物は、わたしには味が濃すぎて、食べづらいんよ。人の好みってみんな違うんよ。」

 

祖母、本気で驚く。「へー、あんたこれが好きなの?みんな和食が好きじゃないの?!」

 

 

ひとって気づかないうちに自分の物差しと相手の物差しは当然同じだと思ってしまうんだろうな。

わたしがすきなこれは、相手も当然好きなんだろう、

わたしが嫌いなあれは、みんなにとっても嫌いなものなんだろう、

わたしが辛いあれは、みんなにとってもよくないものだ。

 

そうやって想うことは自然なことなのかもしれない。

とくに祖母のように純粋さをもっていると尚更に。

 

でもにんげんってぜんぜんばらばらだ。

家族でも味覚が違う。好みが違う。思想が違う。視点が違う。違うのが当たり前で、重なっている部分の方が貴重なのかもしれない。

 

祖母の料理は塩辛くて食べれない。わたしは薄味が好き。祖母のにごった茶色のセーターよりも、ピンクのシャツの方が似合っているのに着ないなぁと想っている。祖母は原色のはっきりした色見の花が好き。わたしは白い、薄い色の花に惹かれる。

 

 

わたしとあなたはちがう。違うひとたちがごろごろと集まって暮らしている。

ぶつかることが怖かった。揉めたくないと想っていた、けれど、

これだけ違うひとと一緒に時間を過ごすなら、ぶつかることがあっても不思議じゃない。

無理に合わせなくてもいい。我慢しすぎなくてもいい。

世界にたったひとりわたしだけだったら、争うことも比べて落ち込むこともない。

でもきっとわたしはそんな世界を望まない。

揉めて苦しんでも、哀しい想いを何度経験しても、最後にはきっと他者と過ごすことを選ぶだろう。

それを知るために、家族という枠があるのかもしれない。

f:id:momonootayori:20210225232429j:plain

梅園にあった名札。どういう由来なのだろう