風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

きづき

自分というにんげんはなにものなのか、

深く深く見つめ続けてきたけれど、

まだまだ知らないことばかり。

 

この世を離れる時にやっと輪郭の全体像が見える、そのくらい分からないものなんだろうな

 

 

意見をまとめて伝えることがとっても苦手だ

途中で何を言いたいんだが分からなくてパニックになってフェードアウトする

そんなことばっかだからあんまり意見を求められる場面は苦手だ

 

留学時代のディベートでも口はパクパクしてそのまま倒れるのかと思ったぐらい

その現実を知りに渡米したのかと思うぐらい、

日々戦ってきた。

 

 

感情を表すことも乏しいし、

周りには感情的、叙情的なひとがたくさんいるけれど、すごいなぁということしかできない。

深みがないよなぁ、と想っていたけれど。

 

今日ふと、

 

あれ、もしかして、

頭の中が整理できなくてまとめる力がなく、

話がうまくできない・伝えることがへたくそな自分だと思い続けてきたけれど、

 

 

頭の中が整理できていないのは、

頭の回転がのっそり遅いからではなくて、

受信した情報を分析する前に次々に新しい情報を受信することでバグが起きているのでは?

と気づいた。

 

だれかと会話するとき、

話している間に

相手の声色、顔色、口癖、内容など、たぶんみんなそうだけど、言葉以外の部分からたくさん情報を受け取っている。

複数人と会議する場面は同時進行で観察する対象が増えるので、頭の中は、「気になるけど今はほかっておく」要件が溢れている。

 

「あれ、なんか怒ってる」とか

「なんか声のトーンが低いな」とか

気になることが多すぎて、相手が伝えた言葉以上を考えすぎてしまう。

 

考えていると風呂敷に広げすぎた意識の先が零れ落ちて、気持ちの整理ができず、会話が成立しない。

 

いいアイディアが生まれたり、感想がまとまるのは、たいていその時が済んでからだ。瞬間的にものごとを生み出す力は弱い。一晩寝かせると、レポートのような長文の感想になる。

 

自分はのんびりやだと想っていたけれど、脳内はアクセルがんがんでぶっとびやろうだった。

意見が言えないのではなく、ありすぎてまとまらないのだ。

 

 

 

生きづらさを持ったまま、おとなと呼ばれるようになって久しい。

じぶんの生き様は幸か不幸か当たり前になる。

離れたときに見えた自分の輪郭線。

すこし、力を抜いて生きられるようになるかも。

 

f:id:momonootayori:20201113235314j:plain