風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

みえないチーム

夕飯の支度中、ごぼうを切っていて、気づいたら自分の爪を切ってしまったようだ。

肉の部分ではないので、血が出るわけではないけれど、欠けた爪がひっかかって痛い。

気をつけなきゃ、と想っていたのに、また別の指の爪を削ってしまった。

帰宅した姉に爪削れちゃったわー」と言うと、

爪をちらっと見て、

「・・・タンパク質不足やな」と言い去っていった。

 

上級食育指導士の資格を取った姉は様子を見て不足している栄養がすぐにわかるほどの知識を備えているようだ。

 

わたしは解剖学やら生物学をあれほど苦しんでやったのに、時間が経ってみごとに忘れてしまっている。

 

たったひとつ、小さな爪の欠けた部分から体内の状況が分かる。

爪だったり、肌の状態だったり、筋肉の動きだったり、わたしたちのほとんどは小さな変化を常に持っている。

 

自分の体がじぶんのもののように、普段思っていることが多いけれど、

自分の体が小さな細胞の集合体だと想うと、

なんだか違って感じられてくるのだ。

 

目が乾くのも一つのサイン。

あくびが止まらないことも一つのサイン。

チョコを食べると鼻血が出そうな気がするのも、たぶんサイン。

 

にんげんの体は常に変化していて、毎日全く同じ、ということはない。

 

体内の組織やら細胞やらが私というチームを作る精鋭たちなのだ。

こころはセンサーで、まとめ役。

 

生活のなかで、つい自分の体の状態を当たり前のように思っている。

今日今の自分は、細胞たちが組み合わさってできた自分。

細胞がなかったら私の体は動かないし、呼吸を止めてしまう。

 

気づかれない間にずっとずっと守られていたんだなぁ

 

 

眠たくなってきて、体が左右にもℨ年後に揺られてきたので、この辺にしよう。

 

 

からだよ、今日もおつかれさま。

また明日も生きているうちに存分に使おう。

 

 

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