風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

怒りの粉ととげとげ

朝から感情のぶつけ合いがあったことを知る。

いらだちをぶつけた人がいて、

ぶつけられた人はそれに傷つき、怒り、

それを聞いた私の心も揺れた。

いらいらもするし、哀しく重たい気持ちで体が動かせない。

 

あっちこっちへ行ったり、家事をしてみたりしながらも、

自分がいらいらしてるなぁー と、観察。

なんだか声色もとげとげしく、

ちくちくした目に見えない皮を体の外側にまとっているようだ。

近づいたりしたらビリっと電流の来るような感じ。

 

そういえば、昔職場で知り合った人に、すごい剣幕で怒られた時、

その人のまわりに怒りの粒が舞っているようにみえたことがあった。

ぎゃんぎゃん怒られながら、

「あー、この粉を浴び続けたらわたしも怒りを吐き出したくなるんだな。

はやく終わりたいなー」

と脳内でぼーっと考えていたなぁ。

 

やっぱりはっきり見えなくても、にんげんって日々なんか出しているのかな。

髪やら肌やらを使ってアンテナでキャッチしているのかも。

 

以前は、イライラしたらそのままイライラをし続けることを繰り返していたけれど、

観察をするようになってからは、

1.イライラする感情の中心の自分 と、

2.感情の波をじっくりと見てる見守り役 がいるような感じ。

 

観察しているからといってイライラが止まるわけではないけれど、ただ意識の中身が変わってきている感覚が残っている。

 

脳内で分離が起きている・・・!

 

 

最初のいらだちをぶつけていたひとの要因は、体調不良だったと分かり、

イライラ、から、あっという間に「だいじょうぶかな」に即座に変化。

感情はその時その瞬間でどんどん変わっていく。

 

体調不良を通して、体とこころは繋がっていると再確認するんだな。

どちらが大切ではなく、どちらもあって、やっと自分が在る。

はやくよくなるように、できることをしつつ、祈ろう

 

 

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