服を脱いだら少女
今日は一日実家の掃除をしたり、買い物に出かけたりと体を動かす休日だった。
祖母に刃物はちゃんと片付けてくれとか、水の出しっぱなしに注意だとさんざん言って、自分のアパートに帰ってきたら、
あ、冷蔵庫があけっぱ・・・・
朝からだから12時間近く、あけっぱ・・・・
これは遺伝かな?
・・・ばあちゃん、ごめん。わたし人のこと言えないー!
(思いだしたら先月もおんなじことしてるやんけ!)
*
ここ最近で祖母との関係がじんわりと変わってきているのかなぁと想う。
祖母はもともと、元気で新しいものが好き、人懐っこく、知らない人にもばんばん話しかけ、忘れっぽく、後ろは振り返らず(つまりドアは開けっ放し、水は出しっぱなし、電気も火も消し忘れること多数)、片付けは苦手。思ったことは気づかないうちに口に出ちゃう。独特の色彩センスを持つ人。
習い事への送り迎えや、通院や、買い物へ行ったり、料理や家のこともたくさん助けられていた。とにかくわたしたち孫の面倒を見てくれていた。
でも、作ってくれる料理もあんまり好みではなかったし、花を生けても水を代えることを忘れてしまう祖母はちょっと残念な人だと思っていた。見栄っ張りなところとか、へたくそな謙遜や常識を唱えることはこどものわたしを何度も傷つけた。
わたしはだんだん大きくなって、祖母を頼らずに自由に動けるようになって、不器用なりに家事もできるようになってきた。
祖母はだんだん年老いて、車も乗らなくなって、足取りが少しずつゆっくり小さくなってきた。
もともとうっかりが多い祖母は、あんまり家事をやらせてもらえなくなった。
ひとのために動くことが生きがいな祖母は少し元気がなくなって、
寝転がることも今は多い。
依然と比べて動かなくなった体を嘆いて、家族に申し訳ないな、とつぶやく。
祖母のそういう弱音を聞くのも、うっかりできてないところを見るのも、すごく好きじゃなかった。めちゃくちゃイライラした。
祖母と他の家族がもめるのを見るのも苦痛でたまらなかった。
自分を守るために祖母を何度も傷つけてきたな、と今になって想う。
もっと違う祖母だったらどんな生活だったかな…と思うことは何百回もあった。
ちびまるこちゃんのおばあちゃんみたいな人って、現実にいるんかな?
サザエさんのフネさんも、優しくてなんでもできてみんなをさりげなくフォローしてるけど、神様か?
祖母のことを家族の、自分にとって近いひとのうちの一人だと意識しているうちは存在が気になって、気づけば邪険に扱っていた。
でも、ふと、わたしの祖母ではなく、いち個人の○○さんだと思った時、
あ、このひとは
少女だ
と想った。
とっても、とっても純粋な乙女なのだ。
純粋が故に、怒れるし喜ぶし傷つくしごまかすこともできない。不器用で真正面からしかぶつかれない。楽しいことがあればごきげんだし、色々忘れちゃう。哀しいときは哀しんでそして次へと進む。前だけしか見ていない。
そんな少女が
戦争だったり、過酷な結婚生活だったり、お金で苦労したり、社会の荒波にもまれたりを経験してきて、
たくさん泣いて、笑って、生きてきたんだなぁ。
これまでの経験で身に着けてきた感情やらこだわりやらを剥ぎ取ってみたら残ったのは、働き者で、好奇心旺盛、人と関わるのが好きな、そんな人柄。
仏様のような目線で?彼女を見たときにわたしの意識が変わったのかもしれない。
これまでの小さいけど確実にあったしこりがすーっと溶けていった。
今も変わらず、毎日のように喧嘩をする。言い合う。腹もたつし、注意もする。
なんでそんな考え方なんだろう、と想うことも変わらずある。
わたしが怒りで反応することも数え切れずあるけれど、「このひとの目線では知らなかったことなんだな」と想うと伝える言葉が自然と変わる。
そして祖母の中の少女に話しかける、と意識をすると、
なんだか笑って反応を返してくることが多い。
もちろん毎回ではないけれど、そんな場面が増えてきたように感じる。
なにより、私が祖母と居て心地よいことが増えた。
あと何日、何年、一緒にいられるのだろう。
1年後はどうなっている?
未来のことは全く分からないけれど、
ずっとあったしこりが溶けてきたように、
関係性はいくらでも変えていけるのかもしれない。