風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

その不器用さが愛おしい

自分のことを不器用だな、と想いますか?

 

わたしはしょっちゅう想います。あー、やっちまった。うげ、これ忘れてた。あぁ、また人を傷つけちゃった。なんでダメだとわかっててそれやった?などなど、日々落ち込みのオンパレードです。忘れっぽいし、注意力も散漫。こころのなかで、このくそ野郎!と叱咤する自分がいつもいます。

 

 

今関わっている人は障害の診断を受けた人たち。それぞれに特性があって、ペースがゆっくりだったり早かったり、こだわりがあったりする人たちが多いです。

 

そんな人たちと日々一緒にいると、毎日バタバタしたりげらげら笑えたり焦ったり怒ったり、まぁ同じような日、というのはなかなかありません。

 

合う人もいればあんまり合わない人ももちろんいる。それは障害とかに関係ないのかもなぁ。

 

わたしもでこぼこした特性を持っていて、

隣に座るひとも違うでこぼこを持っている。

 

その”でこぼこ”を一緒に笑っていられるひともいれば、

”でこぼこ”を快の方に感じられないひともいる。

 

それはどんなひとに対しても一緒。

 

「その”でこ”はわたしには合わないんだけどあなたのその”ぼこ”はなんか好きなんだよねー」

なんていう場合も結構ある。

 

 

みんなどこかしら不器用で、がたがたしてて、弱くて強い。

生きていくということは、誰かのでこぼこに出逢うこと。

生きていくということは、わたしのでこぼこを持って歩むということ。

 

合わなくても、だいじょうぶ。

すごーく探せば小さいけれどぴったりあうでこぼこがきっとある。

もし見つけれなかったら、

笑顔でまたねと言って離れればいい。

 

不器用なひとばかりのこの星で、

明日は誰に出逢うのだろう

f:id:momonootayori:20210209234635j:plain