風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

わたしの2020年

2020年もあと3日だ。こないだ2020年になった!と想ったら、もうお尻がみえているなんて。時間の流れって知らない間にスピードが変わってないかい?と想う時がある。

 

でも、2020年は長く感じることも多かったのかもしれない。

2019年から苦しい時間が続いた。

ハハを見送り、新しい環境になり、職場で人間関係は大荒れの中でぐらぐらとしながらその場に立ち続けた結果、疲れて場を離れる。

人にはなかなか逢いたいという気持ちがでない、そんな中、

新型肺炎が流行した。

 

一人旅でゆっくりしたいなと想ったら、移動制限がかかったので、

本の中を旅することにした。

気になった本は迷わず手に取って読み込む。

ありがたいことに時間はいっぱいある。

コロナになるギリ前に無職になったが、

報道で退職や雇止めのニュースをみて、「焦ってもしょうがないな」と想い、

自分の中で納得するまでは働かないことにした。

このご時世で自ら働かないとか!と脳内で叫ぶ自分もいたけれど、

このままは動けれない。

いや、がんばったら動けれるけれど、体に鞭をうって動くことはしたくなかった。

 

 

ほんとうは

働くことよりも、自分と向き合うことの方がもっともっとむずかしかった。

くるしい作業だった。あいまいな何かを探るのは、宝があるのか分からないところをずっと掘っているようだ。

 

わたしはじぶんの声を待つことにした。それまで、自分の気になることをする。

本を読む。絵を描く。たくさん眠る。だらだらする。気になるnoteやブログを読む。

じぶんは何者なのか。ひたすら知りたかった。

そこが自分の中の軸で、世間のニュースは遠い世界の話のようにも思えた。

ひきこもっている部屋から出ると、マスクをかけたひとは違う世界のひとのようだった。せかいとじぶんが遠く感じたり、時には近く感じたり、そんな時間を過ごした。

 

 

 

ひたすら続けて、半年ぐらい。

トンネルがパっと開けた!・・・りはしなかった。

でもなんとなく、自分で区切りがついてきた気がした。

ひきこもって人に逢うことがなかったせいか、人と一緒に活動したくなった。

今コロナでそう感じている人もたくさんいるのかもしれないが。

人とずっと一緒にいるとしんどくなるのに、ずっとひとりもつまらないと想っている自分はなかなかバランスの難しい奴だなと想う。

でも誰かを必要とする、っていいことだ。

 

 

何件か就職活動をというものを試し、再び働き始めて2か月が経っている。

 

 

 

2020年で学んだことは、

違和感を感じたとき、ちゃんと一度手を止めるって大事なんだな、ということ。

あのまま走り続けていたら、どんな未来が待っていたのだろう

まったく分からないけれど、いまのわたしは空白の、自分を問いただす時間があってよかったのだと想う。苦しかったけど。

 

 

2020年の12月半ばより、「風の時代」になったそうだ。

所有や安定からこれからは共有したり、横のつながりが拡がっていくそうな。これまでの価値観もがらっと変わるらしい。

詳細はあまり分からないが、なんか響きが好きだ。

現社会になじめないところがある人も、のびのび生きやすく感じるのかもしれない。

 

そういえば、このブログは「風の停留所」おんなじ風という共通点があるのが嬉しい。

どんな時代の勢いも社会の流れの中でも、一度手や足を止める場所。そんな場所。

毎日の投稿を始めたのも2020年。

いい流れを作り出せているのかな

 

 

いろんな想いが交差した年。

 

今日の今までいきてきた自分と一緒に

明日のじぶんを生きていく。

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