風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

いまのわたしは何色?

夕飯が美味しく作れた時はなんだかちょっぴり上機嫌。

カブと鶏肉のクリームシチュー、カブは溶けて鍋をかき混ぜても見つからなかったが、お腹は暖かく満たされたーはなまる!

 

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 高校の頃、担任はオーラの色が見えると評判の先生だった。休み時間に生徒たちはこぞって「私の色は何色ですかー?」と聞いていたのを憶えている。

わたしも「この先生にはひとがどんな風に見えているのだろう・・・」と想いつつ、オーラがどんな色か聞いてみた。

 

「あなたはね、ピンク色。」と即答された。

当時ピンクと赤とかの色があんまりしっくりきていなくて、驚きと素直にうけいれたくないなぁ、みたいな気持ちがあった。

納得していなかったので何回か聞いてみても、「あなたはいつもピンク」としか言われなかった。

 

何年も経って、ガラス職人の友人にガラス玉のペンダントをオリジナルで作ってもらった。なんとなく完全お任せで作ってもらった。できたものをみたら、うすいピンク色のキラキラしたガラスだった。

「なんか春のピンクっぽいイメージがして。」と彼女は言った。

SNS上でのやり取りが主で、実際に逢って会話したのは2,3回だった。(そのうち1回は事故ったところに居合わせた)

 

こんなところで色が一致するなんて、視えるひとにはわたしの周りの色が見えるのかなぁ。

 

 

じぶんのオーラの色はあまり分からないけれど、ひとのまとう空気の色はなんとなくそれぞれ違うような気がしている。

このひとは深い紫だな、このひとは灰色がかった薄い青みたいな感じがするなぁ、とか。ほんとうになんとなーく。高校の先生のように言い切れないから、また見えるものは違うんだろうなぁ。

 

色でなくても、たぶんひとは言葉や表情以外の部分で感じ取っている。第六感というものだろうか、なんとなく、気持ちがわるい感じとか、違和感があるとか、空気が澄んでいるように感じるとか。

日常で今接している障害を持っているひとたちも言語でのやりとりは多くはないけれど、言葉のうしろでいろんなことを感じ取っているような気がする。たくさん感じることがあるぶん、とんできた情報に疲れてしまったり、混乱してしまうのだろうな。

そう思うと、いまの社会に合っていない、合わせるのにとてもエネルギーが要る、そういう事実だけが残る。

 

 

 

いまのわたしは何色なんだろう。かわらずピンク色なのだろうか、それとも別の色なんだろうか?ピンクでも違う色になっていたりするのかな。そもそも思い描いている色が同じとは限らないな。

 

わたしがまとっている世界、ひとからはどう映っているのだろう。

いつか、見てみたい。だれかの視線からのじぶん

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