風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

弱い躰

昨日、こんな内容を書いていたら、

わたしをささえるチーム - 風の停留所

 

お風呂でぼんやり考え込んでいて、

 

くらっと

 

 

あ、やばい。

思った瞬間によろけそうになり、

なんとか風呂場脱出し、脱衣所に座り込む。

 

濡れたまま服を被って、部屋まで戻ってごろり。

こういう時は狭い部屋で助かった。

 

 

耳鳴りが止まない。

頭の中の血液が動くような音が響く。

そして吐き気

くぅ、辛い、、

 

 

 

 

そのまま眠ってしまったようだ。

目覚めた時には耳鳴りは止んでいた。

今は吐き気とともに横たわりながらブログを書いている。

 

考えてみると、健康で何にも問題ない!、そう言い切れる時って、一生のうちではなかなか短いかもしれないなぁ。

肩こりがあったり、擦り傷があったり、めまいがしたり、病気にかかったり、怪我をしたり。

目が悪くなったり、鼻が詰まったり、なんて日々何かしらをもって、日常を過ごしている。

きっと、そういうひとは多いんじゃないかなぁ。

自然界だったら、肉体の問題は生死を分ける。環境に適していることや、健康でいることで生体を維持して命をかけ子孫を増やすことができる。

 

そう考えると人間は弱い脆い生き物だ。

脆いからこそ、知恵を使って生きる方法を作り上げてきたのだと想う。

みんな、口に出さずとも色々な痛みやら故障を持っているのだろうなぁ。

 

わたしの体はサインを送り、それに従ってわたしは休めた。脆くも健気な肉体だ。まだ使えることに感謝だなぁ。

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