風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

開き直った赤子は行く

今日は風もなく太陽があたたかないち日だった。

喧嘩をした後も祖母はケロッと元気。

夕飯時、煮付けを食べながら「ほら見て、上手に魚の骨とれたよ!」とどや顔。

ぺろりと完食でなにより。

アボカドは食べてくれない。栄養あるんだぞっ。

 

 

 

友人のパン屋でおしゃべり。

お店に行くと、買う前にひとしゃべり、買ってからもひとしゃべりと、もはや買うために行っているのかしゃべるために言っているのか分からないほど。

なんならお客さんが来たときに奥に居る友人を呼んだり、お客さんに話しかけたりする図々しい常連なわたし。

 

彼女が知り合った神主さんがとてもすごい経験をしてきたひとで、その方が友人に

「だーいじょうぶだから、ぜんぶ。」と軽く、フラットに言った。

「全部大丈夫なようにできてるから。」ということば。

 

 

「世の中いろんな人が居て、自分なんか…と委縮してしまうかもしれないけれど、

みんなばぶちゃんだから。」

 

ばぶちゃん・・・

 

 

 

今年の夏前にとある床屋で髪を切った時に言われたこと。

数秘と頭のつむじから私の性質を見て、

「ばぶちゃんなんだからはやく認めなさい」

と。

 

そう、わたしはばぶちゃん。あたまでっかちだが実際はばぶばぶしてる赤子。

 

でもその中のひとは

みんな人生が1回目で、その中でなんとなく正解?と思われるようなものを探しつつ過ごしてるのではないだろうか。

 

 

本当のことは死ぬまで、死んでからやっと分かることなのかもしれない。

この世に肉体があるうちはきっと分からないことがあるんだろうな

 

今の間は、ばぶちゃんらしく、やりたいことを選べばいいしやればいいんだ。

 

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開き直って、どこまでも行くぞ