風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

自分らしくという呪い

自分らしく、という呪いがある。

 

もっと自分らしくいたい、とか自分を出していきたいけどどうしたらいいんだろう・・・、とかそういう風に思って葛藤していたことがある。

自分の個性ってなんだろうとか、とにかく自分の見せ方にうんうんうなっていたような時期をずいぶん長くすごした。

 

今、過去の自分に静かに思うのは、

「そのねちねちーっとした悩み方こそが、おまえさんのじぶんらしさだわい ふぉふぉふぉ(仙人の笑い)」
ということ。

 

自分らしく、というと、自分を輝かせるもの、プラスで、ポジティブで、周囲の人からも認められるもの、そういう風にどこか想っていたのかもしれない。

 

探せば探すほど、もがけばもがくほど、自分の現実と離れていき、泥の中に沈んでいくような気持ちになる。

実際は沈んでいないのに!泥を作っていたのは全部自分の頭の中だったなぁ。

 

 

いいところ、わるいところ、なんて分けることができない。

分けたところで、それは一つの視点での分け方であるというだけ。

 

自分の嫌だなぁぁーーーとひたすらに呪っていたところも、自分の一部だとさっさと諦めて、ほかっておく。それだけで十分だ。

わたしという人間は、ひとつひとつにやたら悩む。こだわる。本物かどうか熟考する。そういうところがうっとおしくも、弱弱しく、時に鋭く、嫌味たらしく、またおもしろく映ることがある。

 

ただそれだけのことなのだ。

 

 

人生は一度きり。そう想うと「よりよくありたい」そう人間は想うようにプログラミングされているのかもしれない。

望みを見つめる先に、自分の姿は映っているだろうか。

醜く映っているのだろうか、そのままの姿が映っているだけなのか。

 

この、自分と言う素材をどう使っていこうか。明日を楽しみに今日が終わる。

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