風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

感覚の実験

グレープフルーツジュースを飲んだ。

賞味期限が半年以上前のやつ。

 

賞味期限であり、消費期限ではないから、飲めないことはないんじゃないか?と想い、缶ジュースをあけてみる。

 

 

プシュッ

 

 

・・・・

 

 

もわわ・・・

 

 

ん?なんだこの湯気?けむり?

 

違和感を憶えつつ、コップに注ぐ。

色見を観察したかったのに、アパートには今マグカップ(青色とピンク)しかない。

 

こうなったら、舌で確かめてみるしかない。

試飲開始!

 

・・・

 

んーー

けむたい?????

 

のどを通る瞬間に感じる、なんとものどにかかる感じ。埃っぽさが口に残るような。

 

グレープフルーツジュースってこんなかんじだったかな?

いや、違う。もっと飲みたいと思わせないこの感じ。これ以上飲んだらあかん。

脳が指令を出し、コップを握っていたわたしの手はとまった。

 

 

 

時間が半日以上たったがお腹には来ていないよう。少量で止めたのがよかったのかもしれない。

 

頭からの情報で「これは古い。イコール飲んだらダメ」と想うのも簡単だけど、

たまには自分の感覚を信じてみるのもいいな、と想い実験をしてみた。

 

結果は予想通りだったわけだが、やっぱり飲んでみてよかった。

古いとどんな味がするのか分かったし、

どきどきする心理も気づいた。

次はちゃんとおいしいグレープフルールジュースが飲みたくてたまらない(笑)

 

 

 

わたしたちは普段から感覚を使えているのだろうか

感覚を信頼しているだろうか

知識と言う情報だけですべて知った気になっていたりしていないか

 

 

感覚という今だけの特権、もっともっと使っていたい

痛みもやわらかさも、あれもこれも、ひとしくまるっと感じたい

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