風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

当たり前のように、異なる

先日調べたせいか、自分の特性に気づくことが増えた。

 

年末だし新しい手帳が欲しいなと、文房具屋でパラパラと中の形式を見ていくのだが、

紙の上の罫線が眩しくて見ていられない。

紙の色によって眩しく感じられたり、線が浮いてみえたりすることがある。

ノートは割と落ち着いて見えるのだけど、手帳はだめだー

 

目が疲れてきて、今日は買うのをやめた。

結局買うの年明けになっちゃうんだろうな・・・

 

視力には他にも、

アルミやステンレスの反射が苦手 という特性がある。

 

小学校の頃、黒板を見るのが大変だった。

黒板の周りのアルミサッシが眩しかったからだ。

小学校は特に、至るところにアルミサッシが存在していて、どこを見たら眩しさから逃れられるのか、探すのが大変だった。

 

みんなそうやってがんばってるのかと想ったら、どうもそうではないようだ。

まぶしそうにしてるひと、全然いない。

話すと、「は?何が?どこが?」と言われ、なんだか違うぞと気づいた。

 

 

これが目の病気なのかと思い、ネットが使えるようになってからずっと探しているけれどそれらしい病気の情報にはつながっていないので、おそらく自分の特性なのだろうと今は理解している。

 

大人になるにつれ、慣れたのか少しずつ適応してきている。自分、がんばったなぁ!

 

(アルミサッシ、あるいはアルミの画像を載せようと思い検索していたら目が痛くなったので断念…)

 

姉は皮膚感覚が繊細で、服の繊維に違和感を感じると気になってしょうがないそうだ。

そのため、こどものころはとにかく着替えが遅かった。

いつまでやってるの?と何度もききたくなるぐらい、ゆったりとしていた。

でもはたからは「おっそ!」と想えても、本人は必死だったりする。

よく見ていないと分からないことってたくさんあるなぁ。

自分からみると、おそいことも、相手の内側からみたら、ものすんごい踏ん張ってやってるスピードのこともある。

 

 

ハハの友人Tさんは、そんな姉の話を聴いて「あはは、そうなんだー!わたしと全然違うね!」と笑っていた。おおらかなTさんは細かい部分で気にしたことはないと言う。

 

そんなTさんも、もしかしたら無自覚ながら繊細な感覚をもつ部分があったり、逆におおらかで気にしないという性質を持っている、ということなのかもしれない。

 

 

 

みんなそれぞれの性質を持っている。ほんとうはシンプルにただそれだけなのだと想う。

当たり前のように、違うのだ。

違うことが、当たり前なんだ。

 

 

 

わたしたちはどうしても仲間がほしい。

仲間を作ることで安心したい、そういう想いがあるのかもしれない。

でも人間である限り、それぞれがでこぼこと、オリジナルの性質を持っているのだと想う。

ここはいっそ、異なっていることを知って、当たり前だと開き直ろう。

自分のオリジナルを、泣いて笑って、それでもこれがじぶんだと、

堂々といきていけばいい

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