風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

期待してんなよ

姉が生理痛でダウンしていた。

女性に生まれると、生理が定期的に合って、それは10代から40,50代近くまであって、しかも周期の前後にはPMSなんぞもあって、もう一生の間で生理の期間はどれくらいなんだよ?と調べたくなるほど、女性の頭の片隅にはいつも「生理」があると思う。

(下記のサイトによると、換算すると生涯で6年9か月、生理と向き合っているという計算らしい)

www.sofy.jp

 

生理の時の体調というと、千差万別で重い人もいれば軽い人もいる。状態も人によって同じようで実は違うことも多いのではないかと想っている。

 

今日の姉は体がえらいようで1日を通してよく寝ていた。

わたしはその横でスマホをいじったり、録画したドラマをみたり、家事をぽつぽつと。

 

夕方かえってきたチチが姉をちらっと見て、

「1日寝てばっかだなぁ」

とため息がちにつぶやいた。

 

 

その時、心の中でコトッと音がした。

あぁ、チチは姉が寝てばっかでなんにもしてないと思っているのかな

時間を無駄にしている、やることやっていない、そう思っているのかな

 

「生理の時は寝るのが仕事なんよ」

とチチに伝えた。

 

 

生物学的にチチが生理の時の体の状態を全く理解するのは難しいだろう。

わたしも姉の体の状態はよく分からない。

むずかしいけれど、体が通常の状態より大変度が増すと理解していてもいいかもなぁと想っている。

 

 

そして、

寝ていること=ダメ

の意識が浮かぶのはなぜなのか考えてみる。

 

これがあかちゃんだったら。

寝てても、よだれたらしてても、うんちしてても、

なにしてても許してしまう。

そのまんまを受け入れる。

 

ペットの猫だったら。

寝てても、やっぱりそのまんま受け入れるのではないかな。

きっと無理やり起こして、もっと動いて!とか言わないよな。

「寝顔もかわいいな!さすがうちの子!」みたいに写真撮ってるかも。

 

 

おとなのにんげんだと、どうしてこんなに変わるのだろう

もっとこうして

なんでそうなの

 

って、どこか期待してみてるのが当たり前になっていくのは、何故なんだろう

 

チチが特別悪いというわけなく、わたしも日々誰かにこちらの目線で期待をし、こちらの視点で落胆したり、腹をたてたりしている。

 

生きているだけでいいのに。

 

ほんとうは

生きている、それだけでもう満点。

あとはおまけのこと。

 

そう想えるときと、全然想えず腸が煮えくり返りそうになる時のこの波はなんだろう。

これがにんげんらしいってことだろうか

 

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