呼吸と、みらいと
整体の日だった。
3月から行き始めて1か月半。毎週通うことは財布の中がすっきりしていくのでちょっとどきどきしているけれど、身体の変化を感じられるのは嬉しい。
「肩や背中が凝ってる」から「首の根本のココが痛い。このコリが気になる」とピンポイントに意識が向いてきていると先生に伝えると「いい調子だねぇ~」とにこにこと返事が。しかしラスボスのコリがまだ残っているのでしばらくは通わないとだ。
いつか、生まれたばかりの時のように、身体のどこもこっていない・力んでいない状態を体感出来たら嬉しいなぁ。
先生からは、「呼吸がうまくできていない」と言われた。呼吸が浅くなっているので、首回りが緩まずコリになってしまっているそうだ。言われてから振り返ると、ほっぺたの筋肉が固まっている。仕事で利用者さんの咀嚼や口周りの筋肉を気にしていたけれど、自分も大概だった。
マスクを長時間つけていることが当たり前になったこの1年で、身体も築かないうちに変化している。日々のバタバタと、マスクの習慣で乱れていた呼吸。少しずつ深呼吸をするリズムを創っていきたい。
整体からの帰り道で車を運転しながら考えていた。
宇宙人が空から見ていたなら、”地球人って、なんで顔に白い布かけてんだろー?”と想うのか。いや、違う惑星の生き物の脳が身体の上部にあるとは限らない。そもそも身体があっても全然違う形かもしれないなぁ。と想った。
100年後、200年後の地球人は今と違った造形なのかもしれない。今美しいと称賛される外形も、先の未来では全く違うものかもしれない。この世界で流れる常識も、今だけ・ここだけなんだよなぁと想うと少し身構えなくてもいいかもと思えてくる。
100年後、200年後、わたしはこの世にはいないし、わたしの知っている人もそうだ。みんな肉体は消えていく。だから今だ。肉体を伴う今、出し惜しみせず生きよう。
ただのおんなのこだった時
雨降りの土曜日。
でかけるのためらう祖母を連れて歯医者へ。ずっと噛み合わせが気になっていたけれど、コロナがあるし…としぶってきた。が、コロナ収束を待っていると、祖母の食事に影響がどんどん出てくるのが先になりそうだったので、いざ治療へGO!
嫌がる祖母。寝ているところを起こして早く支度しろと言われたらそりゃあ不機嫌になるよね。「別に一昨日の腫れもひいたし、もういいわー」と。
「まぁまぁ、終わったら向かいのスーパーで天ぷら買おう。んでお昼は天ぷらうどんだよ!」
食べ物でつると、ひとはついてくる。祖母は確実についてくる。
歯医者で診察室の椅子に座った祖母、無口で小さくなっている。もしかして、緊張してる?
「いや、別にそういうんじゃないけど」
よく考えたら、自分は治療してもらったことがあっても、人が治療しているところを見るのは初めてだった。先生にも祖母が心細そうに見えたのか、隅の方で見守らせてくれた。
入れ歯を作り直すことになった祖母。今日は型をとることになった。
「先生、わたしあのどろどろ、嫌いなんだわー」と伝える祖母ににこやかな笑顔で「すぐ終わるでねー」と準備をする先生。
椅子を倒されると、祖母がどきどきしているのが分かった。
「はーい、力抜いてリラックスしてねー」
「んふごごっっっ!」
・・・・全身ガッチガチで苦しそうな祖母。
歯の型を取るので、鼻で呼吸をしなければいけないのだが、祖母は鼻呼吸ができなかった。口で呼吸したら、そりゃあ型どりのピンクのネチョネチョが口を占拠していて苦しいし気持ち悪くなる。鼻だってば!
涙を流しながら全身がこわばる祖母の手を触ると、ものすごい力で握ってきた。
鼻呼吸の仕方も、脱力の仕方も、祖母の頭にはなかったようだ。
「がんばっ・・・ちゃいかんな、りらーーっくす!力抜くんだよ!」と言って手をさするが、どんどん力が入る…。
先生が頑張ってくれたおかげで、倒した椅子を起こした状態ながらなんとか型がとれた。先生も祖母もちょっと疲れたようだった。
幼いころ、歯医者に連れて行ってくれたのは祖母だった。習い事に送り迎えしてくれたり、買い物だったりも一緒に出掛けた。こどもの時は連れていく側になるとは思ってもみなかったけれど、なんだか忘れていった過去のことを、またひとつひとつ記憶の中から拾い出したいななんて思ったりもする。
ちょうど習っていたダンスの写真が出てきたから余計にそう感じたのかも。祖母がいなければ続けられなかった。
診察室の椅子の上の祖母はちいさいこどもの様で、なんだかちょっとせつなくもかわいかった。どんだけ強気でいても、この場ではにんげんはちいさいひとになる。
祖母もあかちゃんで生まれて、こどものときがあって、戦争を経験しながらも、同じようにくだらないことで笑ったり落ち込んだりしながら生きてきたんだよなぁと想うと不思議だ。わたしは祖母が祖母になる前は知らないけれど、ただのおんなのこの時代があったんだなぁ。ほんとうに当たり前なことだけど、ただのあかちゃんで生まれてくる、それをみんなやってきたんだなぁ、と考えると、みんな仲間なんだなぁと想えてくる。
ちょっとやさしいきもちで世界を観られる気がしてくる。
祖母との生活は、喧嘩、喧嘩、喧嘩、たまにほっこり。たまに笑って、しんみりして、また文句言い合っての、繰り返し。いつまで続けられるかな。
うどんに載せるてんぷらはわたしはぜったい後載せがいい。祖母はふにゃふにゃ派。
これだけは譲れないぞ。
夢でもし逢えたら
久々にハハの夢をみた。
ここ数週間、なんだか暴食が続いていた。間食が明らかに増えていたし、食べるものも自分の体には合っていない物ばかりだった。
間食の手が止まらないのはなぜだろう。
すぐに答えが出てきた。
わたしはハハに甘えたかったのだ。
ハハは栄養学に知識もあったし、わたしの身体がほんとうは強くないことも気にかけていた。
わたしは割と根性で乗り切る性格で、多少のしんどさがあっても、勢いをつけて実行することにこだわっていることが多い。ただ体力はないので人の視えないところではトドのように寝そべっていないと回復できなかった。
ハハも根性タイプだったからか、わたしの行動はお見通しだったし、だからこそ心配してた。
実家を離れ、県外やら国外に出ていった娘を見守るのは、さぞ大変だっただろう。
そんなハハが想像しているよりも早く、肉体を離れて1年。
逢いたいと思っても、夢のなかにもちっともハハはでてきやしない。
レアキャラになっていた。意識の中にはいっつも居るのに。
ハハはじぶんの中に居る、そんな感覚もある。
想えば、ハハとチチの細胞からできているのだから、二人とも自分の中の一部だともいえるような気もする。すべてではなく、一部だけれども。一緒に居た時間が長い分、亡くなってからハハが自分の中に居る感覚は強くなった。
それでも逢いたい時があるのだ。肉体がいいのだ。生身のハハがいい。
いくつだよと笑われても呆れられても、わたしは駄々をこねていたかった。
わたしは情けない奴なのだ。間食ばっかしてぜい肉はついたし、栄養不足で口内炎もできた。肌も荒れている。寝不足でクマがファンデーションで隠せない。
だから、そんなダメなわたしを怒りに来てよ。「だめじゃない」と言ってほしい。
「身体大事にしてよ」と叱ってほしい。
自分が弱っていたら、幽霊でも夢でも出てきてくれないかなぁ、なんてこころの奥の方でこっそり企んでいた。
が、かみさまに企みがバレていたからかハハのことを全く夢にでてきていなかった。
そんなハハが夢に出てきたのが、今朝のこと。
夢の中でハハはわたしを叱ることはなかった。というより、夢の中でまだハハは闘病していた。これはわたしの中にある記憶が闘病で止まっているからだろうか。
詳細は忘れたけれど、ハハを抱きしめた時、夢から醒めた。
夢の内容はあんまりハッピーではなかったけれど、それでも逢えたのは嬉しかった。
きっと、またしばらくハハの夢は見ないんだろうなぁ。
そして、またよかったり悪かったりを行き来しながら、自分の身体を使っていく日々が続いていく
*
テレビで久々にハハの好きな布施明さんが唄っていて、気づいたら涙が出ていた。
聴こえていたでしょ?
わたしたちは相容れない
先日、SNSで見かけた話で、学校の卒業式だったか入学式だったのか忘れたけれど(今年の話ではなく数年前のできごとだった)、
親御さんが手話を使って離れたお子さんに「おめでとう」と感激しながら伝えていたところ、隣の人に「目障りだから手話をやめて」と言われ、聴覚障害者であることを伝えたけれど嫌がられたため席を外れた、という話だった。
その話を知って憤った反応の人も少なくなかった。「こんな差別がまだ存在してるなんて!」と。わたしも補聴器をつけて生活をしている友人もいる。話をきいてその親御さんはお子さんの大切な日に辛かっただろうな、、と想った。
と、同時に、
その隣の人が自分勝手な人、というだけのことなのかなぁ、とも疑問がわく。
視覚過敏のひとなのだろうか。集中することが難しいひとなのか。
そのお隣さんを擁護したり、差別発言を容認したいわけではない。場に居合わせていないのだから状況もニュアンスも分からないのでなんとも言えないのだけれど、誰かを傷つけることを良しとしたいわけではない。
ただ、この社会で生きるのに、障害を持っている、といっても千差万別で、
分かりやすいもの、伝わりづらいもの、誤解されていること、たくさんある。
みんな持っているもの(性質や特性)が違う中で、同じ世界で暮らすというのは簡単なことではないなぁと想う。
多くの人は他者と争うことを望んだり進んで実行しないと思う。それでもいろんな場所で哀しい想いをする人が現れるのは、それぞれのでこぼこがうまくかみ合わないからだ。
元気がよくあいさつができるひとがいて、それをいいなぁと想う人もいれば、うるさいなと思う人もいる。
キラキラしたものが好きな人もいれば、そんな場所では落ち着かないひともいる。
猫派がいれば犬派もウサギ派もいる。
物に囲まれていると安心する人も、物がなくすっきりしている方が落ち着く人も。
みんな、おなじ場所で自分の生きやすさを求めているだけで。
最初から椅子取りゲームしたいわけじゃないよな。
と、ふがふがしていたところで、
岸田奈美さんのこの記事にヒントが。
話はずれるが、岸田奈美さんの文章は軽やかで、ふふっと笑えながら、じんわりもして、そしてやさしい。とてもすきです。こころの栄養に毎日読んでいる。
前向きな諦めっていいな。諦めることってなんだかネガティブに捉えれるけど、認めるところから始まるんだなぁと想える。
この社会には「分かってくれない」がたくさん転がっている。それをひとつひとつ手に取って、周りに投げてみたり、形を変えたり、はたまた自分の懐にしまったりしながら、日々を過ごしていく。
たまに、だれかとそれを一緒に眺める瞬間があったりなかったりをしている間が、人生なのかも
自然が教えてくれる
先日、雨が降ってしまう前、桜を見に行きました。休日の朝早く。犬のお散歩している人や自転車の練習する親子が遠くの方にちらほら。
用水路沿いに桜が咲いている桜一本一本を見るのが楽しい。
もう葉っぱが出てきていたり、花びらは落ちていて、おしべとめしべがむき出しになっている。
鳥の鳴き声が聴こえてきたので目を向けると、どんと構えた大木の枝に2,3羽止まっていた。メジロかな?と思ったが、こんな街中にいるのはきっとスズメだろう。無理に近づいて移動させては嫌だし、視力が悪いので顔周りの色までは分からなかった。
鳥がちょっと動くだけで、花びらはどんどん落ちていった。風に舞って一枚ずつだったり、かたまりのままぽとっと床に落ちて行ったりする。
桜ってすごいなぁ、と想った。人間に「ここに居なさい」と植えられて、たくさんお世話を受けないと育たない繊細さがあって、鳥とか虫とかにも自分を使われていくことを当たり前のようにやってのけ、雨や雪が降ってもじぃーーーとその場で静かに居る。美しかろうがそうでなかろうが咲いては散り、また芽吹くを繰り返す。
全部静かに受け止めて、できる限りをして、生き続けている。
みんな植物はそうなんだけど、わたしにはできるのかと言ったら、できんなぁ。
もし生まれ変わった時に、
神さま?に「お前は次は桜だよ」って言われても泣いて無理ですと言いそうだ。
じっとしているの、苦手だしなぁ。
今世はにんげんなので、そのままじたばたしたわたしでいよう。
*
さりげなく、3月から名前を入れてみた。Medeluというで一見読みにくそうな名前。
愛でる・芽出るのメデル。イギリスの歌手アデルみたいなイントネーションで。
これから愛でていくものはなんだろな
✳︎
葉桜をたくさんみかけた。
葉桜って次のはじまりのような気がする。この緑色はエネルギーだな、と想う。
映画の予告か何かで「始まりは終わりの始まり」(うる覚え)というフレーズを聴いたけれど、終わりこそ始まり。終わったらこそ始まれるのかもしれない。花が落ちないと新芽はでてこない。
きっといのちが終わるとき、なにかが始まっていくのだろう
わたしの誠実
あたたかくなった。桜も風になびいて気持ちよさそうだ。
桜咲いてて空いてるところ、どこかあるかなぁ。
卒業、転勤や転職、引っ越しなど、次のステップへの変化の多い季節。オンラインでのコミュニケーションが増えてきた中、オフラインでの動きの仕方も色々変わってきているんだろうなぁ。
1年前の3月は、ちょうど退職をした時期だった。
それまで活動していたチームから人が抜け、下から数えた方が早かったわたしが部署をまとめる立場になってから、そんなに日は経っていなかったけど、
辞めるまでは長かったのか、短かったのか。どうだったかな。
小さな会社の中では、人間関係がとても露わになる。毎日部署で会議をして、それを上の役職と話し合うことを何か月か続けていた。
夜眠れない日が増えていき、これはよくない気がする…と思っていたところで、朝布団から起き上がれなった日があった。前日にはパニックで手が震えていた。
もう、だめ。ここにいてはいけない。
決断したのは、ハハが亡くなって、ごまかして生きるのはやめようと決めたことが背中を押したのかもしれない。
「こんな大変なときに、辞めるなんて」そうやって陰で言われていた気がする。
確かに「今辞めたら、人に迷惑をかける」という呪い(?)は、倒れるスレスレのわたしを何度もくい止めた。
でも対人援助の仕事をしている中で、自分がこんなにも弱弱しく、精神的に不衛生な状態なまま、利用者さんに接したくなかった。
それはわたしの中で不誠実なことだった。
「健康で楽しく過ごすことが一番だよ」いつもそう伝えていたのに、自分が一番程遠いなんて、そんなひとを信じられるだろうか?
そんな想いからわたしは職場を去った。
利用者さんはみんな大好きだったから、辞めてからも何度も思い出し、しあわせを祈った。
そして長い夏休み。と思ったらやってきたコロナ。
有休消化から半年以上、自宅で本を読む日々を過ごした。
ひとり旅もしづらい世の中になってしまった。
これよと機会に興味のある本を読んでいった。
お財布はぺらっぺらになったけれど、わたしが欲しかった時間だったし、必要な時間だったかなと想う。
離れてみて感じることも、違ったりそのまま変わらずだったりだ。
たった1年で状況も心境も変わるんだなぁ。
わたしが想っているよりも、1年というのは大きい。変わろうと思えばいくらでも変われるんだな。
来年の今頃、わたしはどこで何をしているのだろう?わたしはわたしに誠実でいるだろうか。
答え合わせは1年後。
ショック療法から
あんなにコツコツ書いていた自分はどこへ行ったのか。旅に出たのだろうか。
1週間ぶりの投稿である。
あれ?11月とか毎日当たり前のように書いてたよね?ブログ書くことに生きがい見い出した、くらい言ってたよね?こやつ、ネタ切れか。
心のなかで冷たい目線を送る自分がいます。実は自分の目線って他者の目線より厳しい。言い分の内側もまるっとみられてるんだなぁ。
今月から整体に通い始めた。身体の不調にいい加減向き合わないとなぁ、とやっと重い腰を上げた。後回しにしていたツケが来たのか、朝から晩までずっと肩こりが気になっていた。
痛くない、根本から治す!とホームページにでかでかと書いてある整体院にした。
わたしのはきっと筋金入りのコリだから、一から治さなければ変わらないと思ったから。
笑顔が派手な先生に挨拶後、色々調べてもらう。
唾液アミラーゼ検査でストレスチェックを行った。
唾液の中にある消化酵素のアミラーゼの量を測り、多ければ交感神経が刺激されておりストレス度が高い、ということだそうだ。
「はいこれくわえててねー」
(・・・え、これで何が分かんの・・・??)
頭の中に?が浮かびすぎていたのが作用していたのだろうか。
結果がでて先生は「あぁー」と苦笑いをしている。
「かなりストレス溜まってるね。」
測定値が30KU/Lがストレスがない、30-45がややストレスがある、40-60でストレスがある、61以上でストレスがかなりある、ということだが、私の結果は
150を超えていた。
・・・はい?
数字、まちがってねぇか???ギャグ?故障?ドッキリ???
思わずあははー、と笑ったけれど、ストレスの基にはなんとなく気づいていた、ずーーっと前から。数値にはショックだったけれど、ほんとは誰かにバシッと言われたかったのかもしれない。真正面から頭を叩かれないと、動かしている手足を止めらなくなっていたんだろう。
もちろん1回の数値でどれほどの正確性なのかは分からない。交感神経は直前に体を動かしたりすることでも上がるし、環境によっても変動する可能性がある。ただこの結果を見て、納得できたことは、現状に対して自分の本音を引き出すのに十分だったということだろう。
やさしくしなくて、ごめんね。
家に帰って気持ちが落ち着いてから少し涙がでた。
エネルギーを日々使って使いまくって、自分のことはおざなりだったんだなぁ。
そうしろと誰一人言ったわけではないのに、自分で自分を責めて鞭を打っていた。
決して器用ではなく体力もない中で、ザど根性でなんとかやってきた気がする。
からだはそれに疲れてきていたようだ。ずっと走りっぱなしだったもんなぁ。
わたしはわたしをたいせつにする、とそれだけ新たに決めた。
(何回か口にしている気がするのに、きづけば道がそれていくのは何故なのだろう・・・・)
甘やかすのでも怠けるでもなく、たいせつにするってどうしたらいいのだろう。
今できることは、栄養を取ること。自分の時間と空間を確保すること。自分を観察することの3つだろうか。
今できることを少しずつ。そんな風にやってみよう。