風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

点の考察

点描が好き。

点と点が集まって全体が生まれるという不思議な感覚。

個と世界にも通じるなーと思う。

 

一見まとまりがないように見えても離れてみると新しいものがみえたり、バラバラのように見えて実はまとまっていたり。

ずっとおろおろと落ち込んでいるものが、遠くから見ると全然問題じゃなかったり、むしろよくとらえられたりすることもある。

 

 

個々はどこまでもonly oneだと捉えることもできるが、大きく見れば同じ”にんげん”、同じ”生命体”

スマホの画面でGoogle earthを見て、どこまでも一点に近づけれるし、離れると宇宙までいっちゃう、みたいな。

 

 

点そのものは独立して成り立っているけれど、集まることで新たな関係性を生み出す。

イビツな点、大きい点、小さい点など様々でもいい。宇宙も惑星や恒星、いろんな星が存在することで完璧に成り立っている。

 

 

 

こころが迷ったときは、点描を描こう。

(やりすぎ注意)

 

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わたしが視る世界は

いつからか、写真を撮ることが当たり前になった。

初めてデジカメを買った時、嬉しくてなんでも身近なものを撮りまくっていた。

人も花も空も、撮れば撮るだけこころが踊る。

 

景色はひとつでも、どう切り取るかはひとそれぞれで、無限に変化する。

 

一眼を抱えて歩き回る友人に感化され、お店でいちばん安くてちいさな一眼レフを買った。

ただの素人なので、テクニックなんかはよく分からない。

ただ、どこに行くでも持って歩いていた。

この美しさをどう表したらいいのだろう・・そう思いながらファインダーをのぞいた。

 

 

今はスマホにカメラがついている。パノラマもあれば、ムービーも簡単に取れるし、編集もできる。

一眼を持ち歩くことは少なくなったが、やっぱり写真を撮るということは面白い。

 

意図していない美しさが映っていたりして、見返してびっくりすることがある。

このブログにも一つの記事に1枚写真を載せている。

 

素人の自分だが、気持ちに合うものを載せれるとなんだか、よし。と、背筋が伸びる。

 

 

 

きっと、写真を撮っている時は、わたしがこころに留めておきたいと願った時だ。

無欲なときほど、写真は勝手に輝いている。

 

流れていく日々のなか、わたしが大切にしたいものはなんだろう

こころに置いておきたいものはなんだろう

 

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たんぽぽの綿毛を見るとこころが躍りだす



認めたかった罪悪感

家族のことを綴ったからか、久々にハハの夢を見た。

 

momonootayori.hatenablog.com

 

 

最期の方だったように思う。健康な状態ではなかったようだ。ハハがしゃべってくるというより、自分がただハハの目の前で泣いている、そんな映像だった。

夢の中でこれは夢だと知っている。現実にハハの姿はないのだ。

でもあえて嬉しかったのだ。病気の姿でも、やっぱり声が出たし、抱きついた気がする。

夢の中で泣いていたのは、自分の後悔に気づいていたからだ。

ハハのいのちの終わりには、心が揺さぶられるほど、「あぁよかった」と想えた。

それはほんとうに、強くつよく想ったのだ。

 

 

だけどおんなじ心の中に、確実に”後悔”も住み着いていたのだった。

「あの時もっと早くきづいていたら・・・ 無理やりでも○○していたら・・・」

「わたしがあぁしていなければ、今頃生きていたのだろうか。もっと長く生きれたのでは?いのちの長さを変えてしまったのではないか」

 

そんなことがずっと湧き続けているのだ。

静かに、でもずっとその想いが在った。

 

 

 

1年間、この罪悪感をなかったことにしてきたのかもしれない。

認めてしまうと、自分が立っていられないような気がしていたのかも。

自分が許したくなかった。でも認められないのも苦しかった。

矛盾をかかえたまま、見送ってから1年が過ぎた。

 

 

 

そして夢の中で、自分が隠していた罪悪感を見た。

胸がはりさけそうだった。

 

でも、ずっと認めたかった気持ちでもあった。

わたしは悔しかった。旅立つハハの前ではなにもできることがなかった。

ただ最期の生き様を見ることしかできなかった。

無力だった。

 

 

でもあの日違う行動をしていたらわたしが後悔することはなかったかどうか、分からない。仮定の話に答えは出ず、堂々めぐりなのだ。頭では理解しているのに。

 

 

今の自分にできることは、そのこころの中の罪悪感を認めることだ。

どれだけ慰めの言葉を聴いても消えていきそうにもない。

 

 

たくさんの”もしも・・・”を考える癖が止まらなくても、

それで仕方がないのだと

そんな状態のまま、もう少し騙し騙しでも今日を生きていく

 

 

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他人のように

今日はかずのこのクリームチーズ和えを作ってみた。

うっしっし。料理がうまくいくとにやけてしまう。苦手だと思ってきたものも続けていくと少しずつできることができてくる。

自分の中身を強くする、ということでなるべく栄養が取れるように作ってみたいと志はありつつの手抜きごはん。

 

 

ひとと一緒に暮らしていると、いろんなことが日々起こる。予期せぬところから何か問題が発生して、勘違いしたり言い争いになったり、相手にイライラしたり哀しくなったり。

以前家族がテーマのお話会に参加した。家族のことで悩んだり、色々を経験してきたひとは多い。みんな表立って口に出さないだけでいろいろを持ったまま生きているんだな、とその時感じた。

 

 

 

 

家族ってなんだ?

ずっと考えている疑問。

一緒に住んでいるひと、血が繋がっているひと、強く影響を受けたひと、たいせつにしたい相手、共有したいものがある相手・・・。

 

多様化の社会では血縁関係だけが家族とは言い切れず、いろいろな形がでてくるのだろう。それとともに、じゃあ”家族”ってことばの意味は人それぞれ個人で違ってくるのではないだろうか。

 

家族だから、ちゃんと言ってほしい。

家族だから、譲れない。

家族だから、傷ついた。

家族だから、愛している

 

 

家族、だから?

 

家族(血縁関係の)ということが理由でより怒れてしまったり、ゆるせなかったりすることがわたしにはあった。

近い、と感じるからこそ、「なんで分かってくれないんだ」につながっていったのだと思う。

 

でも家族といえども他者だ。

じぶんとはまったく違う存在。

見てきたものも、経験してきたものも、それで感じたことも、それぞれ違うのだ。

 

今日は家族のことを、【一緒にご飯を食べる他者】という設定で接してみた。

ルームメイトというのがあっているのか違うのか分からないけれど。

他者に対してなので、丁寧に話す。といっても別に敬語で話すわけではないけれど、

【・・・言わんくても分かってくれるはず】

という想いを外すことができる。

 

 

家族って甘えたい対象なんだろうな

ゆるされる相手とお互いに想っていたり。でも意外とそんなことはなく、「なんで!?」が起きたりする。

それが自然だ。

自分とはちがうのだから。

 

 

 

家族とは、なんだろう

 

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何を恐れているのか

”We have to fear is fear itself”ーFranklin D.Roosevelt

わたしたちが恐れなければいけないのは恐れそのもの。

 

毎日まいにち、見えないものから身を守り、見えないものを恐れ、行動を制限をかけ、そんな生活を世界中のひとたちが続けている。

マスメディアを見ていると、今日の感染者が○○人だった、経済がー、医療がー、とニュースにあふれている。情報に対して耳を持つこともたいせつだが、情報を聞いてより不安になったり、苦しくなったりしているなら避けることも時にたいせつだ。

身を守ることがなによりも、たいせつ。

 

にんげんは恐怖に弱い。

恐れから、嘘をついてしまったり、誰かを傷つけてしまったり。

それは恐れでいっぱいになった頭の中をなんとかしたい!という想いからの行動なのだろう。

恐怖を抱くことは危機管理能力の一つで、生まれ持つサバイバルスキル。持つべくしてもった能力だ。

 

でもそれでいっぱいになってしまうと、恐怖でこころは簡単に埋め尽くされてしまう。

 

たいせつなのは、何に対して恐怖を抱いているのか、気づくこと、認めること。

 

 

今のわたしの恐れはなんだろう?

コロナに対しての不安や恐れは、持病のある高齢者の家族に気づかない間に感染させてしまわないかの不安。

たいせつな人を失いたくないな・・・の恐れ

 

この二つがとても大きい。

あと、周りの人が不安がっていると、それが自分にも伝わってきて、体が重くなってしまいそうになるのも、ちょっと怖い。

共感というのか、ひとの気が移りやすいので気を張っていることが気づかず増えてきている。

 

 

日々の生活に夢中になっていると、自分の癖に気づかない。そして生活の中に恐れは細かく隠れている。

「あぁ、何かを怖がっているって、恐れそのものだったんだ」と気づくことができたとき、トンネルはくぐっている。

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きみは不器用ななかま

昔からずっと気になっている人がいる。

 

バイキンマンだ。

バイキンマンといえば、言わずと知れた、日本中の人が一度は目にしたことがあるであろう、国民的アニメ。幼少期にアンパンマンドラえもんを通過したこどもも多いと思う。わたしの家でも積極的に見ていたわけではないが、目にする機会はよくあった。

 

パンが主人公なことはともかくも、ストーリーでいつも引っかかるのは、

なぜバイキンマンはいっつもやっつけられているのか

 

毎回アンパンチをくらって、星になるまで吹っ飛んでいくバイキンマン

君そんな悪いことしてたんか・・ぼーっとみてるだけでは気づかんかったぞ!

幼いころからうーむとうなりながら見ていました。

 

うる覚えでもあったので、改めて調べてみると

www.anpanman.jp

アンパンマンを たおすために バイキンせいから やってきた。じぶんでは てんさいかがくしゃだと おもっているが、へんなものばかり つくってしまう。たべものが だいすきで、すぐに よこどりを しようとする。きれいな ものが だいきらい。

 

アンパンマンを倒すために遠い星からやってきたという熱量、毎回新しいものを発明する創造性、すごいやつだ!

あと、食べ物が好きで横取りしちゃうところとか、やりたい!が溢れてるのにから回っているところがとてもとても不器用で、なんだか愛おしい子だなーって思ってしまう。

現実社会でも、仲良くしたいけど、伝え方を間違えて揉めちゃったり、これがすき!って言いたいだけなのに横柄にみえてしまったりする子がいるよなーって想う。

自分にもそういうところがあるし、自分が関わっているひとたちにもそういう部分があったりする。

そんな不器用なのに、何度も何度もアンパンマンたちの住むところへ毎回やってくるバイキンマンくんがかわいい。

 

にんげんって不器用だよね

アンパンマンみたいに堂々としていたらいいんだけど、素直に態度に出せなかったり、

言いそびれることってあるもんね

なんかいっつも失敗したりられたりね

 

そういうひともへっぽこしながら生きていこうね

なんて、バイキンマンを見ると仲間だなぁーっと勝手に思い、不器用な彼を応援しているのです。

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