風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

他人のように

今日はかずのこのクリームチーズ和えを作ってみた。

うっしっし。料理がうまくいくとにやけてしまう。苦手だと思ってきたものも続けていくと少しずつできることができてくる。

自分の中身を強くする、ということでなるべく栄養が取れるように作ってみたいと志はありつつの手抜きごはん。

 

 

ひとと一緒に暮らしていると、いろんなことが日々起こる。予期せぬところから何か問題が発生して、勘違いしたり言い争いになったり、相手にイライラしたり哀しくなったり。

以前家族がテーマのお話会に参加した。家族のことで悩んだり、色々を経験してきたひとは多い。みんな表立って口に出さないだけでいろいろを持ったまま生きているんだな、とその時感じた。

 

 

 

 

家族ってなんだ?

ずっと考えている疑問。

一緒に住んでいるひと、血が繋がっているひと、強く影響を受けたひと、たいせつにしたい相手、共有したいものがある相手・・・。

 

多様化の社会では血縁関係だけが家族とは言い切れず、いろいろな形がでてくるのだろう。それとともに、じゃあ”家族”ってことばの意味は人それぞれ個人で違ってくるのではないだろうか。

 

家族だから、ちゃんと言ってほしい。

家族だから、譲れない。

家族だから、傷ついた。

家族だから、愛している

 

 

家族、だから?

 

家族(血縁関係の)ということが理由でより怒れてしまったり、ゆるせなかったりすることがわたしにはあった。

近い、と感じるからこそ、「なんで分かってくれないんだ」につながっていったのだと思う。

 

でも家族といえども他者だ。

じぶんとはまったく違う存在。

見てきたものも、経験してきたものも、それで感じたことも、それぞれ違うのだ。

 

今日は家族のことを、【一緒にご飯を食べる他者】という設定で接してみた。

ルームメイトというのがあっているのか違うのか分からないけれど。

他者に対してなので、丁寧に話す。といっても別に敬語で話すわけではないけれど、

【・・・言わんくても分かってくれるはず】

という想いを外すことができる。

 

 

家族って甘えたい対象なんだろうな

ゆるされる相手とお互いに想っていたり。でも意外とそんなことはなく、「なんで!?」が起きたりする。

それが自然だ。

自分とはちがうのだから。

 

 

 

家族とは、なんだろう

 

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