風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

何を恐れているのか

”We have to fear is fear itself”ーFranklin D.Roosevelt

わたしたちが恐れなければいけないのは恐れそのもの。

 

毎日まいにち、見えないものから身を守り、見えないものを恐れ、行動を制限をかけ、そんな生活を世界中のひとたちが続けている。

マスメディアを見ていると、今日の感染者が○○人だった、経済がー、医療がー、とニュースにあふれている。情報に対して耳を持つこともたいせつだが、情報を聞いてより不安になったり、苦しくなったりしているなら避けることも時にたいせつだ。

身を守ることがなによりも、たいせつ。

 

にんげんは恐怖に弱い。

恐れから、嘘をついてしまったり、誰かを傷つけてしまったり。

それは恐れでいっぱいになった頭の中をなんとかしたい!という想いからの行動なのだろう。

恐怖を抱くことは危機管理能力の一つで、生まれ持つサバイバルスキル。持つべくしてもった能力だ。

 

でもそれでいっぱいになってしまうと、恐怖でこころは簡単に埋め尽くされてしまう。

 

たいせつなのは、何に対して恐怖を抱いているのか、気づくこと、認めること。

 

 

今のわたしの恐れはなんだろう?

コロナに対しての不安や恐れは、持病のある高齢者の家族に気づかない間に感染させてしまわないかの不安。

たいせつな人を失いたくないな・・・の恐れ

 

この二つがとても大きい。

あと、周りの人が不安がっていると、それが自分にも伝わってきて、体が重くなってしまいそうになるのも、ちょっと怖い。

共感というのか、ひとの気が移りやすいので気を張っていることが気づかず増えてきている。

 

 

日々の生活に夢中になっていると、自分の癖に気づかない。そして生活の中に恐れは細かく隠れている。

「あぁ、何かを怖がっているって、恐れそのものだったんだ」と気づくことができたとき、トンネルはくぐっている。

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