風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

とげがあるのは生きているから

鍋を作る。白菜は祖母がつくったやつ。売り出すものではないので形がちょっとイビツ。紫外線を浴びているからか、葉っぱが分厚く硬め。

洗っているとちくっと手に痛みの感覚が。

あ、よーーく見ると、白菜って葉っぱにとげが生えている。

 

 

めいいっぱい生きているいきものなんだな、白菜も。

ただ人間に食べられるものではなくて、

自分たちの繁栄のため、できるかぎりの最善を尽くしている。

寒い冬に葉を何枚も多いながら栄養をとじこめて、

とげをつくって敵から身を守ってる。

 

 

そんないのちを食べている。

豆乳鍋に大量投入。

 

ぱくぱく口に入れると、だんだんお腹のあたりがほかほかしてくる。

白菜が食べられてよかった。

 

外は北風が冷たいけれど、

その分家に入って食べる白菜があたたかく感じる。

夏にお鍋はあんまりすすまないものね。

 

「何事にも感謝しなさい」と言われると、身構えて素直に感謝しずらいあまのじゃくな人間だけれど、

ギャップがあるからたくさん受け取れる、そういう感覚も忘れないでいたいな。

 

今日も体は動き、

内臓は休みなく働き、

ガハガハ笑える一瞬があり、

がっくり肩を落としたりもしつつ、

眠たくて布団が恋しい。

 

そんな瞬間瞬間に忙しい自分は、今日も生きた。

 

 

あしたもまた寒いそう。この街は降るだろうか。

暖かい瞬間がどうか知らない誰かにもありますように

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