風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

ここからの努力

整体に通って半年。

気合だけでは乗り越えられない首から腰までの痛みをなんとか、なんとか取り除きたい!

と、根本治療を目指し、毎週退勤後に駆け込んで5か月が経つ。

転職したばかりの安月給に決して優しくない治療費だったけれど、

とにかくこのまま痛みをごまかして過ごすのは嫌だ!

と、覚悟を決めて問い合わせをして。

 

初日に先生から「うーん、こりゃあなかなかだね・・・」と称号をいただく。

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あぁ、3月にはストレスの数値が異常だったんだ。

今計ったらどのくらいになるのだろう。今だって色々もんもんとすることは多々あるし、ムキーっと腹も立てる。

けれども、そうじゃない時の自分もいることに気づいている。

そして怒りの真っただ中、大波が静まるまでしずかに止まっている自分も居る。

凪の中で、相手はどうしてそうしたのかゆっくりと想像する。

そうすると怒りの斧を使わないまま、自分の中で整理をしていける。

 

身体の可動域が増えてから、こころにも空間ができたようだ。

 

 

先週先生から「もうほとんど大丈夫、オッケーでしょう!」と合格が出た。

首から腰の痛みの慢性的な痛みはほとんど消え、スムーズに体が動くようになっていた。

これからは不定期でメンテナンスに行くことになる。

 

先生は「治すっていうとね、みんなさっさと魔法みたいに痛みがなくなることを期待するんだけど、治るのって少しずつじっくりなんだよね。治るっていうのは、本当は整えたら待つしかないんだ。擦り傷だって放っておいたら時期にちゃんと治るでしょう?治ってからが努力をするターンなんだ。これからが努力の時間だよ。」

そして

「痛みが治ったらどうしたい?どうなりたい?」と問うてきた。

 

わたしは正直なところ痛みをなくすことがゴールだと思っていた。でも先生が聴いているのはその先の話だった。

 

「痛みがなくなったら、制限とか遠慮しないで、もっといろんな所に行っていろんな刺激を得たいです」と答えてた自分に、わたしは驚いた。

 ・・・そうか、わたし刺激がほしいのか。

 

 

「身体がしんどいから」とか「無理はできないよね」とか自分に制限をかける言葉をいっぱい言ってきたな。

これから、まっさらになった自分はどこへ行こう。

何をしよう。

この身体を使って、おもいっきり。

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