変化するいきもの
にんげんって変わらないものだと想っていた。
がんこ、とか
気が弱い、とか
あわてんぼう、とか
そういうのって生まれ持った性質みたいなもんで、しょうがないもんなんだよな、って
わたしは緊張しいだった。
新しい場所や人に逢うと、顔がこわばって歯がカタカタ言い始める。
馴染むのも時間をかかるから、学校でもぽつんとしていることも多かった。
と、自分自身を思っていたのだが、
本日、
「え、全然緊張してるように見えなかった」
と言われたのだ!
かちんこちんでロボットのような動きだったのでは?
不信に思われたのでは?
やりづらい相手と思われたのでは?
緊張して、肩こりで朝起き上がれないくらいだったし、それでいて夜は不安でなかなか寝れなかったけど、はたから見たら全然そんな風に見えなかったそうだ。
自分の思っている自身のイメージと他者の印象ってなかなかギャップがあるものなのだろう。自分が想っている方こそ、固定観念のかたまりなのかもしれない。
以外とそんなことなかったりもするのだ。今まで自分自身で呪いをかけていたのかもしれない。
緊張しい、だとイメージしている自分をこっそり応援してみたら、
あら、なんだか大きい声出してなかなかやってるじゃんか。
ちょっとほっぺの筋肉もほぐれてきてるやないか。マスクの上でも笑えてるのが分かるぞ。よしよし。
あかちゃんのような足取りでよたよたがんばっている自分よ。
がんばってんだなァ。
と、目を細めるばあちゃんのようになり、私はコンビニスイーツを奮発したのだった。
慣れという力に助けられた部分も大きいのだろう。
人はかかる時間はそれぞれだが、慣れる生き物である。
慣れる、という能力を持っているんだなぁ。
どうやら私は、緊張するということ、緊張する自分、に慣れてきたようだ。
人間は変化するいきもの
常に揺れ動く、不安定で弱くて、でも環境に慣れちゃう、そんないきもの
やりすぎると、崩れてしまうこともあるけれど、
ストレスと変化の境界線で、
自分という入れ物の変貌をずっと見てみたい。