風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

続けることと止めること

コツコツと、毎日寝るまえまでにブログを書くことを11月から継続してきましたが、

昨日はまったく体が動かず、パソコンの前に座っていられず、

「あぁーブログぅ・・・」と想いながらもコテン。

 

これまでも深夜12時を超えていたり、投稿したと思ってたら上がっていなかったりしたことは度々起こっていたのですが。

 

1行も書けなかったのは久しぶりのこと。そこで湧いてきた感情は

 

「ああああああああああああーーーーくやしいいいいいいいいいいいいいい」

 

↑実際に声に出ました。

 

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たくさんの人に読んでもらっているわけじゃないけれど、すばらしい文章でもためになるコンテンツでもないけれど、ブログを書くことはわたしにとって大きいものになっていたんだな。と認識するきっかけになりました。

 

去年の11月、3日坊主野郎だけど「ブログを続けてみよう!」と思い立ち、ほぼ毎日投稿してきてもうすぐ〇ヶ月。

自分は飽きっぽく、継続性がなく、”コツコツ”とか”継続”とか、そういう言葉からかけ離れているな、とずっと思っていましたが、

ここにきて、

「あれ、このひと(自分)止めることが苦手な人なのかも・・・」と疑っているのです。

 

ブログを投稿する

 

そのことに、こだわりを持って、縛りをつけて過ごしていたのかも。

眠たい日は何日もあったけど、それでもブログをあげたかった。

それはなぜなんだろう?

 

ブログに固執していたのか、承認要求からくるのか、さみしがり屋だからなのか?ブログが楽しいから、書きたいから、克服したいから、、、

と色々頭の中を探ってみて、全部が少しずつ正解だなと気づきました。

わたしは頭の中を整理することや、考えを言葉にすることが苦手で、その練習のための場所としてブログがあります。ブログを書くことで気づく感情がたくさんあります。そして、コメントを残してくださる方と対話できることが、胸がじんじんするくらい緊張してワクワクします。

 

人間は、慣れる生き物といいますが、最初は続けることが難しかった毎日継続が、大変なりに当たり前になっていき、ないと不自然に感じられるようになるのでしょう。

ブログを投稿することは決して楽ではないけれど、わたしにとって少しずつ習慣になってきていたのです。実際、楽しめている自分もいる驚き。

 

続けることを練習していたけれど、止めることも相当苦手なんだと気づきます。

むしろ、止めることが難しいから、最初から続けることを選択していなかったのかもしれない。相当なビビリなのかも。

 

昨日ブログ書かなかった。

文章にすればそれだけのことなのに、落ち込んでいる自分がいて、そんな自分に驚いている自分もいます。

 

他者を「○○なひと」とラベルを貼りたくないなぁと想いつつ、じぶんにもたくさんラベルを貼っていたようで。

自分がどんなひとなのか、ということはこの世を旅立ってはじめて分かるのかもしれません。

 

長々書いていますが、ブログはもう少し肩の力を抜きつつ、とりあえずまた明日からも書いていきます。

 

 

・・・・なんという長さ。まとめる練習していきたい・・・