風の停留所

母の看取りをきっかけに意識や生と死について探究しています。内側に湧いたものを表現する練習中です。

NOと口に出す

今日、政治家の発言が物議を醸している。

 

当人の発言や謝罪については、正直に思っていたからこそ、思わず出てきた発言なんだろうなぁ・・・残念だなぁと想ったり。

 

それよりも、周りの人は違うと思ったことを口に出すことができなかったんだなぁ、と想うと世界はかなしい。

 

人の数だけ、意見や思想がある。それが自分のものと違うことだってあることの方が多い。

だけど、これは違う、と自分の内側が言っているものに対して、そのままにしていたら、口に出さずともその意見でいい、と言っていることになる。

 

 

日本という社会では、立場を重んじ、尊重してきたからできた良さもあるし、重くのしかかる慣習も根強いのかもしれない。

でも暮らしているのはロボットではないし、「それはちがう」と口にだしていきたい。

 

 

 

 

小説「十二国記」シリーズが好きで、最近またアニメも見直している。

主人公の陽子が異世界の国王になるため奮闘する物語で、どのキャラクターもそれぞれ魅力的でぐっとくる言葉の山なのだけれど、

特に陽子の「初勅」は何度見返してもぐっとくる。

 

「他者に頭を下げさせてそれで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど 私はしらない

それよりも、人に頭を下げる度壊れていく者の方が問題だと私は思う。

人はね、景麒

心実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには

自然に頭が下がるものだ

他者に対しては礼を持って接する

そんな事は当たり前の事だし、するもしないも本人の品性の問題で

それ以上の事ではないだろう?と言っているんだ

人は誰の奴隷でもない

そんな事のために生まれるのじゃない

他者に虐げられても屈する事のない心

災厄に襲われても挫ける事のない心

不正があれば正すことを恐れず

ケダモノに媚びず

私は慶の民に、そんな不羈の民になってほしい

己という領土を治める唯一無二の君主に

 

 

日本で人目を気にしながら過ごしていた女子高生だった陽子が、裏切りや苦難を乗り越えた先のセリフ。

小説もアニメも素晴らしいので、

政治家さんも普通の民として生活する人も、読んでみるといいなぁと思う。

 

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